中領八幡宮(山口市)

 

心のままに

嘉川八幡宮を参拝後、

次に訪問した神社には、

周辺に駐車場がなく

「これも神様の采配」と参拝をあきらめて、

車で移動を開始した直後に

偶然見つけたのが、

中領(なかりょう)八幡宮です。

目的だったものに拒否されて、

目的でなかったものに

引き寄せられる。

それが幸せへの近道・・・

なんだか恋愛にも似ているかも(笑)

嘉川八幡宮へ

神社に近づいて

ホッとしたのが、駐車場(笑)。

参道の右側に「専用駐車場」が

しっかりと案内されています。

昭和五年に建てられた御由緒碑。

超約すると、

「元久二年(1204年)豊前国の

宇佐八幡宮を勧請し、

大内氏、毛利市氏にも崇敬され、

小早川隆景が奉納した刀は

今もなお神庫に保管されている」

こんな感じです。

小早川隆景が奉納した刀って

どんなものなんでしょうか?

気になりますね。

社頭。

石段を登ると

いきなり足腰に負担が(汗)

ようやく境内に到着。

瓦屋根の手水舎。

左側の古い井戸を囲って、

今でも大切に保存されています。

御社殿

手水を終えて、参拝へ。

ここにもあったのか~!

山口ならではの楼拝殿(笑)

拝殿前の狛犬は、

文化三年(1806年)の寄進。

吽形。

こちらも山口あるあるの榊。

楼門横などに、

清浄な水をたたえ、榊を入れる・・・

この風習、山口以外では、

あまり印象がありませんが、

僕が単に見落としているだけかも(汗)

参拝。

雨が降る中斜めからも撮影。

やはり、山口式(大内様式?)楼拝殿、

かっこいいですね。

幣殿横には舞台があります。

これは初めて見ました!

本殿は覆屋があるので、

直接は拝めません。

この覆屋も山口の神社では

他の地域よりも高い確率で

お目にかかりますね。

釣鐘

次に、社頭で案内されていた

山口市指定文化財の

釣鐘を見に鐘楼へ向かいます。

社頭の案内には、

「豊前国到津庄(北九州)

晏禅寺に永徳二年(1382年)

藤原忠守が寄進した釣鐘です。

永正九年(1512年)

大内持世の菩提寺である

山口市宮野の澄清寺が買い求めました。

大内氏は滅亡し澄清寺も退廃したので、

当八幡宮が買い求めました。

太平洋戦争中は小郡国民学校の

警鐘として使用され

供出をまぬがれました。」

このように書かれています。

この神社さんは同じ豊前国に鎮座する

宇佐八幡宮を勧請していますので、

豊前国で造られた釣鐘を

買い求めたのはそんなことも

理由の一つなのかも知れません。

それにしても650年もの間、

よくぞ生き残ってくれたものですね!

鐘楼。

釣鐘。

先程の由来が書かれているようですが、

はっきりとは見えません。

境内社

本殿向かって左側の丘陵地に

いくつもの境内社が鎮座しています。

石柱的なお社。

こちらも石柱社(勝手に命名)。

小さいながらも石祠的なお社。

「熊野社」と神額に刻まれた鳥居は、

江戸時代の寄進。

参拝。

こちらの石の御社殿は、

千木や鰹木もあって、

なかなか立派です。(御祭神不明)

安永五歳(1776年)と書かれた鳥居。

神額の文字がほぼ消えていて、

御祭神は不明です。

五重塔付きのお社に参拝。

ツーショットは楼拝殿前で。

幕末の遺跡

社頭の案内に従って、

少しだけ気にかけたのが、

こちらの場所です。

境内から神社前の景色を撮影。

今は、ただの交差点ですが、

江戸時代末期、山口防備のため、

ここには関門(関所)と砲台場があったと

神社の案内に書かれている場所です。

中領八幡宮、南北時代の釣鐘から

幕末維新の関所跡まであって、

歴史の生き証人みたいですね。

 

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