浪岡城(青森市浪岡)東館

 

原点回帰

青森旅を計画していた当初、

福岡へ戻る最終4日目は、

青森空港へのアクセスも考え、

空港近くに位置する

続日本百名城の一つ、浪岡城や、

五所川原市の巨大な立佞武多たちねぷた

見学予定としていましたが、

「八甲田山の雪中行軍が気になる」

妻のこの一言で、

全てを「八甲田山関係」に変更(笑)

ところが当日の朝、

青森県に濃霧注意報が出た事で、

天候の変わりやすい

八甲田山ロープウェイに乗るのは止め、

急遽、浪岡城と

八甲田山雪中行軍遭難資料館とを巡る

「当初計画」と「変更計画」の

折衷となったのです。

結局、浪岡城は、

「原点回帰」みたいなもの(笑)

北畠親房の後裔と伝わる、

城主だった浪岡北畠氏のお導きが

あったのかも知れませんね!

案内所

浪岡城には、

ガイダンス施設としての案内所もあり、

人件費削減・経費圧縮という

世の風潮に抗うかのように、

平日であっても、

ちゃ〜んと「人」がいます。

こんな事で感激する時代なんですね、

令和六年は(笑)

お城のエントランス。

案内所。

営業は午前9時からで、

8時半に到着した僕たちは、

先にお城の散策をしたのですが、

ここでは時を戻して(笑)

先に書きます。

開放的な室内。

浪岡城の立体模型。

資料や出土品などの案内。

猿楽館さるがくたて

早朝だからでしょうか、

お城は僕たち二人の貸切状態です。

案内所建物の隙間が、

お城散策のスタート地点(笑)

立派な案内板にちょっと感動。

縄張り図のアップ。

まずは「猿楽館」という

何とも平和な名前(笑)の

曲輪へと向かいます。

「行岳(なみおか)公園」と

「御大典記念公園」の石碑。

右側の「行岳」は、

「浪岡」の古い表記で、

左側は、

大正天皇の御大典(即位)に

ちなんだものですが、

今では「浪岡城跡」という、

第三の名称(笑)もあり、

時代とともに

お名前も変化しているようです。

猿楽館。

標柱。

「能舞台があったかもしれない場所

城主はここで何を観たのだろう。」

(散策マップより)

ここはお城というよりも

中世城館の牧歌的な雰囲気で、

鉄壁の防御施設といった感じではなく、

戦国時代末期、

津軽為信に攻め落とされたのも

仕方なかったのかな・・

なんて思ってしまいます。

東館ひがしたて

次にお隣の曲輪、東館へ。

多少のアップダウンはあるものの、

ここは、ほぼ平地です。

東館入口で出迎えてくれた黄色い花。

「浪岡城が滅ぼされた後、

一時期津軽為信の弟が代官として

いた場所とされます。」

(散策マップより)

ここは花の楽園(笑)

のどかな公園に綺麗な花、

なんか癒されるな〜なんて考えていたら、

いきなりテンション爆上がりの光景が!

お〜こりゃ〜凄い!

岩木山が見えてる〜!

全く予想外の展開に、

僕も妻も大興奮!

思わす、2日前に参拝した

岩木山神社の神様に

手を合わせてしまいます(笑)

何もかんも忘れ、

しばし岩木山三昧・・・

鳥肌が立つくらいに

荘厳な岩木山。

旅の最終日にまで勇姿を拝めるとは、

何とラッキーな事でしょう。

ツーショットは、

岩木山とともに

スリーショットに(笑)

陶板製の案内板。

浪岡城は約100年続いています。

浅井氏の小谷城が50年、

北条氏が小田原城に居城したのが90年、

それを考えれば、

よく頑張ったと褒めてあげたいな!(笑)

(続く)

 

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