豆田町にて(大分県日田市)

 

移動=観光

僕たちが訪問した永山城と

咸宜園は豆田町を挟んで

南北に位置しているので、

移動するだけで、

既に観光になってしまいます。

最も豆田町の見所や、体験場所、

日田まぶしなどの食事処を

制覇しようとすれば、

恐らく一日いても

まだ時間が足りないかも?(笑)。

そんな素敵な町ですから

日を改めてグルメっぽい散策も

してみたいものですが、

いつになる事やら(汗)

豆田町を通って駐車場へ

明王寺のある淡窓町から

豆田町の中心を歩き、

永山城下の駐車場を目指します。

豆田町、賑わっていますね。

風情ある白壁の町並み。

ここで、自分たち土産を調達。

ピントが妻に合ってしまった(汗)

平成の大修理中の重要文化財、

「草野本家」。

修理が始まったのは平成でも

完了するのは令和でしょうから

「平成・令和の大修理」と

改名してもいいかも(笑)

案内。

「草野家は、嘉永十八年(1641年)

豆田町に移住し、(中略)

製蠟業を主として酒造業等を行うと共に、

掛屋、庄屋を務め、

明治期には電力会社や

銀行の設立に携わるなど、

地域経済の発展に大きく貢献した。」

このように書かれています。

また、

草野本家のサイトを一部抜粋すると

日田草野氏は古くは

古代筑後国の領主であり、

その子孫が12世紀筑後国在国司、

押領司に任じられ竹井城主となり、

その後、発心城主となりました。

天正16年豊臣秀吉の

九州征伐の折落城し、当主草野家清は

熊本県南関にて謀殺されたと

久留米市史に記載されています。

落城に伴い一族は九州各地に離散し、

その一部が日田の草場に逃れて移り住み、

徳川治世となった寛永18年(1641年)

豆田町に屋敷を構え、

元禄9年(1696年)

(元禄元年との説もある)

現在地に新居を建て現在に至っています。」

そうです、落ち武者同然の身から

生き延びて、

ここまで繁栄したのですよ!

そのストーリーに感動してしまいますね。

ここで書かれている、

発心城」(ほっしんじょう)には、

数年前訪問しましたが、

その山裾周辺は今でも

「草野町」という名前で、

日田の草野家のルーツを感じられます。

草野家の案内と工事の進捗。

大修理の完成が楽しみですね。

雛御殿。

日田名物の一つ、

雛人形の博物館的な所。

通り沿いには手書きの町名もあり

江戸風情を醸し出しています。

ここから少し北に行き、

花月川を渡ると、永山城下の

駐車場に到着です。

 

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