男女神社(佐賀県佐賀市)
御祭神は国産みの夫婦神
前から気になっていた男女神社。
漢字を見ただけで、
「だんじょじんじゃ」と思い続け、
実際に参拝して分かったのが、
「なんにょじんじゃ」だという事(笑)
その名の通り夫婦の神様、
男神のイザナギノミコト、
女神のイザナミノミコトが祭られています。
男女神社へ
佐賀市内中心部から北西の地点、
小高い山の上に鎮座するのが、
この日の旅最後の目的地の
男女神社が鎮座する
小高い山の麓には、
新しい鳥居が建っていました。
こちらが一の鳥居。
ここからは、農道とも言える、
かなり幅の狭い道を
山へと登って行き、走ること約5分で
神社の駐車場に到着します。
神社の駐車場からは佐賀平野を
一望出来る絶景が広がっていて、
こんな景色を拝めるだけでも
既にご利益をいただいた気分というのは、
言い過ぎかな?
名付けて「天空の駐車場ナンニョ」(笑)
駐車場から歩いて境内へ。
二の鳥居。
ここに宮司さんから
参拝者への温かいメッセージが
書かれています。
これを読んだだけで、
ここに来て良かったと思えるほどの
有難いお言葉に感動。
「今山の合戦と男女伝説」の案内
戦国時代、龍造寺隆信の家臣だった
後の佐賀藩の藩祖、鍋島直茂が
少数の兵で、佐賀城を取り囲んでいた
多勢の大友軍を奇襲攻撃し
その総大将だった大友親貞を討ち取り
局地戦ながらも大勝利した合戦です。
このとき、主戦場となった男女神社は、
戦災で焼けてしまったものの
後に初代藩主鍋島勝茂と
小城藩祖の鍋島元茂の出資により
再建されたと書かれています。
江戸時代、龍造寺氏に代わって、
佐賀藩の藩主が鍋島氏になれた原因は、
龍造寺隆信が沖田畷の戦いで
島津軍に討ち取られ、衰退し、
また隆信の子息に
有力な後継者がいなかった
幸運?もあるでしょうが、
やはり鍋島直茂が、
常日頃から徹底した滅私奉公で、
忠勤に励んでいたからでしょうね。
鳥居の足元が凄いのが気になって、
改めて二の鳥居を撮影してしまいました。
ガンダムの足?恐竜の足?(笑)
神額を見ると
昔は「男女社」という名前だったようです。
男女神社の由来。
神仏習合の神社で、代々、
光明寺(現在は廃寺)の和尚が、
男女神社の座主として管理し、
新座を勤めていたと書かれています。
拝殿へ。
佐賀名物「石の馬」。
本当に佐賀の神社には
馬の石像が多いのです。
馬に生まれるなら
やはり佐賀でしょう(笑)
狛犬、阿形。
吽形。
石段を上がり参拝しようとしたら
こんなものに気付きました。
屋根のご神紋を挟んで
男、女、神、社 と文字が入っています。
こんな拝殿、初めて見ました。
参拝。
拝殿左側にある記帳所。
これに願い事、お礼を書くと
神様にお祈りをしてもらえるそうなので、
妻にも書いてもらいました。
妻は「感謝」を書いたと言っていたら、
一羽のモンキアゲハが僕たちの周りを
くるくると飛んで行ったのです・・・
きっと妻のおばあちゃんの化身でしょう・・・
「ちゃんと守っているよ」
そんな事言っていたのかも。
そして、
社務所の御朱印にも「感謝」の文字が。
書き置きのものですので、
まだ日付は入っていません。
妻に日付を入れてもらい完成。
男女神社と妻の合作(笑)
本殿へ。
木漏れ日が美しい本殿。
御神木
御社殿の右側には
一本の御神木があります。
招霊(おがたま)の木。
神社には定番の木ですね。
降臨された御神霊を受ける様な
枝ぶりが特徴と書かれています。
境内社など
招霊の木の左側に境内社があります。
鞘の神。
これぞ男女和合の神です。
招霊の木の右側にはお地蔵様。
ここで神仏習合を
感じることが出来ますね。
最後にツーショットで参拝は完了・・・
ではなく、
あとは境内前の気になる石碑へと
向かいます。
記念碑
Wikipediaには、
「1931年(昭和6年)、
陸軍大学校参謀演習のため
佐賀を訪れた秩父宮雍仁親王は、
今山の合戦を研究するため
古戦場を見渡せる男女神社を訪ねた。
男女神社前の丘には
これを記念する碑が建てられている。」
と書かれています。
その記念碑がこちらです。
まるで大演習を見渡す
秩父宮雍仁親王の背中のようです・・・
正面から撮影。
「御野立跡」となっていますので、
ここで休息もされたのでしょう。
記念碑の前から見た佐賀平野。
絶景にしばし佇んでいました・・・。
今日の不思議発見
拝殿前の参道左脇にあったオブジェ。
瓦と石の合体?
何だかハウルの動く城を
思い出しました!