金富神社(福岡県築上町)

 

名は体を表す

金富(きんとみ)神社、

僕が大好きな漢字が、

二つも入っていて、

名前を見ただけでも

既にご利益がありそうな神社です(笑)

「名は体を表す」

そんな諺もあるくらいですから、

やはり名前というのは大切ですね!

旧参道(多分)

大きな入口から車で入ったのですが、

何となく側道からの参道が、

古い参道のような気がして、

そこから参拝を開始してみました。

社頭。

少し行くと、古い鳥居に遭遇。

左の柱には、

「元禄十三年」の文字が、

そして、右の柱には、

「豊之前州築上郡金冨湊村」と

刻まれています。

これから推定すると、

「金富神社」という神社名は

恐らく「金冨湊村」から

来ているのでしょう。

322年前に、

この鳥居を寄進した人に感謝です!

(今更遅いでしょうが・・笑)

参道右側の風景。

参道右側の風景(その2)

参道左側には、

塞神や猿田彦大神が整然と鎮座。

そして、

このすぐ先に手水舎が見えてきます。

手水舎。

背後のクスノキが

なんとなくご神体っぽく見えて、

手水舎がいっそう神聖に感じますね!

文政八年(1825)寄進の手水鉢。

清浄な水が流れ、

柄杓で手水をする・・・

神社なら当たり前の事ですが、

コロナ禍の今では、こんな風景にも

感動すら覚えます・・・

明治二十八年(1895)寄進の井戸。

以前は、この井戸で水を汲み、

隣の手水鉢に

水を溜めていたのでしょう。

御社殿

手水舎からほどなく行くと

拝殿前になります。

鳥居と拝殿が近い!(笑)

斜めから撮ると、こんな感じです。

神額の文字は「八幡宮」。

明治三十七・八年戦役記念

(日露戦争の記念)と

書かれています。

Wikipediaによると

御祭神は、

仲哀天皇、応神天皇、神功皇后

高龗神、木花咲夜姫命とあり、

以前は八幡宮だったようですので、

当時はまだ「八幡宮」の名前が

残っていたのかも知れません。

拝殿にて参拝。

お~ここでも小笠原家の家紋、

三階菱が彫刻されていますね!

幣殿と本殿。

本殿の前半分と幣殿は、

覆屋になっているようです。

境内社

次に境内社へ。

本殿向かって左側の須佐神社。

本殿向かって右側の貴船神社。

貴船神社に置かれた蕪懸魚と

「貴舩大明神」の古い神額。

この二つの大きさから推定すると、

昔はもっと大規模な

お社だったのかも知れません。

脇障子には、

三階菱の透かしも入っています。

次に池の中に鎮座する厳島神社へ。

神橋。

参拝。

金富稲荷神社。

石祠。

西伯利出征記念

境内の真ん中に建つのが、

「西伯利出征記念」と書かれた、

跳ね馬の像が乗る石碑です。

西伯利とは、

「にしはくとし」さんという名前と思い、

ネットで調べると、

西伯利は「シベリア」と読む事が判明。

人名ではありませんでした(汗)

これは、大正7~8年にかけて行われた、

シベリア出兵の記念碑です。

多くの犠牲を出し、成果も無く、

おまけに日米関係悪化の

一因ともなったシベリア出兵ですが、

この時、日本は歴史に残る

国際貢献もやっています。

それは、当時シベリアに取り残されていた

多くのポーランド人孤児の救出要請を

ロシア(ソ連)との関係悪化を恐れ、

世界の大国全てが断った中、

ただ一国、日本だけが快諾し、

シベリア出兵中の日本軍が救出し、

祖国に帰還させている事です。

エルトゥールル号遭難事故救出

ポーランドバージョンみないなもので、

現在でもポーランド人の親日的な感情に、

大いに関係しています。

こんな誇らしい日本人の行動も合わせ、

この像を見る人が増えればいいですね!

 

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