日光二荒山神社 中宮祠(日光市)前編
ご縁
二荒山神社中宮祠、
超弾丸ツアー(笑)なので、
当初は予定には入れていませんでした。
ところが、
竜頭の滝に行く途中、
見つけてしまい(笑)
急遽参拝することに。
これも何かのご縁なんでしょうね!
横参道
竜頭の滝を訪問後、
中禅寺湖畔を車で10分ほど走り、
二荒山神社中宮祠に到着。
神社の無料駐車場に車を停め、
まずは横参道からスタートです。
左に中禅寺湖を見ながら参拝へ。
案内。
要約すると、
「中宮祠ご由緒
二荒山神社は男体山を
御神体山とするお社で、
天応2(782)年に男体山の山頂に
お祀りされたのがはじまり。
男体山の山頂に奥宮、
中禅寺湖畔に中宮祠、
東照宮西側に本社の三社が鎮座する。
御祭神は二荒山大神で、
主祭神 大己貴命、妃神 田心姫命、
御子神 味耜高彦根命 の
親子三柱をお祀りする。」
このようになります。
境内図を確認。
東鳥居。
なんか気になる松の木。
癒されるオブジェも出迎えてくれます。
燈籠型の時計。
滋賀県、賤ヶ岳の麓に鎮座する
伊香具神社の時計も
素晴らしかったですが、
こちらもまた、御社殿風で、
後ろの玉垣ともコーディネートされ
時間を見るのが楽しくなりますね!
「牛石」
「奥日光の奇石 牛石」
以下、案内です。
「平安時代より
この地は男体山登拝の為の
霊場として栄え
明治時代以前までは
厳しい「おきて」がありました。
中でも「馬返」より上は
牛馬禁制の結界でありました。
これを破って牛を引いてきたところ
石にされたと伝えられるのが、
「牛石」であり、
牛が寝そべった姿を
していたと云われています。
明治時代以降、
存在が不明になっていたものを
ここに多くの人々の手により
復元を致しました。
他には、女人禁制を破って、
女の人がこの地に来た為、
石にされたと云われる「巫女石」が
赤い大鳥居の脇にあります。」
本参道
次に中禅寺湖畔からの
本参道を散策。
神社の目の前に広がる中禅寺湖。
ここから回れ右して参拝へ。
「唐銅鳥居」(浜鳥居)
参道右側の水神社に参拝。
石段。
八脚門。
唐門が見えてきました。
手水舎。
素晴らしい「しつらえ」ですね!
柄杓を使わずにお手水ができるよう
コロナ対応した結果なんでしょうが、
手水するだけで、
既にご利益をいただいた気分です(笑)
二荒山神社の宝物、
重要文化財である
「袮々切丸」の紹介。
これって原寸大なんですね!
Wikipediaによると
「祢々切丸は、南北朝時代に
作られたとされる
日本刀(大太刀)である」
「祢々切丸の号は、かつて日光山中にある
”ねねが沢”に化け物が棲んでおり、
人々は化け物を
”祢々”と呼んで恐れていた。
この大太刀は突如自ら鞘を抜け出し
祢々の方へ向かって動きだし
退治してしまった。
これにより祢々切丸と名付けられたのが
由来とされている。
なお、”祢々”の正体については
日光付近の方言で河童のことを指す
という説やネーネーと鳴く
虫の化け物であるという説がある。」
この様に書かれています。
写真とはいえ、
貴重な原寸大の大太刀を
拝ませていただき、感謝です。
そして、
手水舎の向かいにあるのが、
金色に輝くこちらの像です。
「願いかなえます」。
「願い叶えます」
以下、案内です。
「聖地奥日光は、江戸時代まで
修行の霊場であったため、
殺傷禁断の地とされ、
中禅寺湖には魚が住んでいなかった。
明治7年、
日光二荒山神社は宗教的戒律を解いて、
幸の湖(中禅寺湖)に魚の放流を許可し、
二代目の宮司柿沼広身は、
明治8年(1875年)
自ら幸の湖に魚を放し、
翌年湯ノ湖にも放流しました。
その由来を刻んだ碑が
「放魚の碑」です。」
「現在、中禅寺湖や
湯の湖で魚釣りが楽しめるのも、
日光二荒山神社二代目宮司の
功績と言えます。」
「宮司の功績を称え、
湖の波に踊る黄金色の鱒の像が
この度奉納になり、
多くの人の願いが
叶えられます様にとの願いを込めて!
「願い叶います」と名づけられました。
どうそ、黄金の鱒にふれて、
心願成就をご祈念下さい。
令和3年4月吉日」
心願成就・・
果たして結果は如何に(笑)
唐門
鯉の彫刻が施された蟇股。
唐門を潜り拝殿へ。
(続く)