日光東照宮(日光市)南蛮鉄燈籠

 

覚悟と目的

日光東照宮の案内によると

境内には、121基の燈籠があり、

その多くは石造で、銅製が少々、

鉄製が2基となっています。

そんな希少な鉄製燈籠を寄進したのが、

仙台藩主伊達政宗です。

この人、とにかく

一流の役者(いい意味で)で、

秀吉の小田原征伐時、

様子見をしていて、

秀吉の陣に遅参した時の

白装束(死装束)といい、

この鉄製燈籠といい、

とにかく「覚悟」と「目的」が

全くぶれない人物です。

徳川家への忠誠を形に表した鉄製燈籠は、

大藩であったのに改易されず、

江戸時代を無事乗り切り、

明治維新まで続いた

仙台伊達藩の「お守り」みたいなもの

だったのかも知れません。

表門(仁王門)

黒田長政寄進の石鳥居を堪能後、

拝観料を支払い表門へ。

境内図。

門の左手前の五重塔。

そんなに興味がないので(笑)

外観のみ撮影。

表門へ。

門は一方通行なので、

右の仁王像アップは、

帰りがけに撮影することに。

「重要文化財 表門」

案内を要約すると

以下になります。

「東照宮第一の門で

総門とも仁王門とも呼ばれる。

正面左右に大仏師法眼廉音ほうげんやすねによる

高さ4mに及ぶ仁王像を配置し、

背面には狛犬が置かれている。」

仁王像(阿形)。

仁王像(吽形)。

反対側の狛犬。

阿形。

吽形。

上神庫

表門から陽明門までの参道には、

左側には、

「三猿」の彫刻で有名な神厩、

水屋(手水舎)、輪蔵が、

左側には、

下神庫、中神庫、上神庫が配置され、

ここだけでも見所満載で、

なかなか先に進めません(汗)

まずは右側から。

左が「上神庫」右側が「中神庫」で、

「下神庫」は改装工事中です。

案内を抜粋すると

以下になります。

「外部は奈良の正倉院に代表される

校倉造を模しており、

内部には百物揃千人武者行列と呼ばれる

神輿渡御祭奉仕者

1200人分の装束や御道具、

祭器具が収められている。

上神庫の妻側には2頭の象の彫刻があり、

実際の象とは姿が異なることから、

狩野探幽が想像で描いたものとされる。」

上神庫の妻側。

像のアップ。

狩野探幽さんが実際の象を

見たことがなかったとしたら、

ここまで描けるのは、

凄いことだと思いますよ!

そして、

探幽から絵を習った家光さんも

これを見て、

きっと感激したことでしょう!

上神庫の正面(平側)。

この手前に冒頭に書いた

鉄製燈籠の案内があります。

「重要文化財 附・鉄燈籠(南蛮鉄燈籠)」

案内を抜粋すると

以下になります。

「仙台藩主伊達政宗候

(62万石)よりの奉納。

ポルトガルから鉄材を運んで鋳造した。

陽明門直下に譜代大名、

陽明門大石段下に外様大名から

寄進された燈籠が配され、

陽明門内にあるのは

東福門院寄進の一基のみである。」

東福門院とは徳川家光の妹で、

後水尾天皇の妻になった人ですから

やはり「特別待遇」なんでしょう。

さて、

伊達政宗さんの燈籠は

こんな一等地にあります。

陽明門大石段下すぐ右側です。

二基の鉄製燈籠。

これがポルトガルから来た鉄か・・・

竿の部分の文字は「陽刻」ですね。

浮き出すように文字を作る技術って、

なんか大変そうですが、

ここにも「抜かりはない」

という事でしょう。

文章を書き出すと、

以下になります。

「元和三年丁巳 (読めない文字)

奉 寄進 東照大権現 寳前

卯月(四月)十七日

藤原朝臣正宗」

藤原朝臣正宗=伊達政宗です。

いやはや、

実に素晴らしいものを

堪能させていただきました!

そして、

鉄製燈籠の右側に建つのが、

こちらの二基です。

スタンダードな石燈籠。

「源朝臣忠長」の文字で、

徳川家光の弟、忠長の寄進かと

思ったのですが、

ここは「外様大名」達の燈籠置き場、

将軍家のものがあるはずはないと

調べてみると、

岡山藩主、池田忠長

(後改名し忠雄)の寄進でした。

忠長(忠雄)の母は、

徳川家康の実の娘、督姫で、

忠長さんは家康さんの

お孫さんなんですね!

そんな徳川家に近しい池田さんを抑えて、

石段脇の一等地を確保した政宗さん、

さすがと言うべきでしょう!

池田さんのさらに右、

上神庫の左端の石燈籠。

こちらは秋田藩主佐竹義宣の寄進です。

義宣さんのお父様、

佐竹義重の立派な霊屋を

高野山奥之院で参拝したことを

思い出します・・・。

佐竹さんのお隣、上神庫の正面の燈籠。

細川忠興さんですね!

有名大名の名前に

テンションが上がってしまい、

きりがなくなるので、

最後に銅製燈籠で〆にすることに。

蕨手が無くなっている所もありますが、

こちらも保存状態は良いようです。

そして、

ここで驚くべき名前を発見!

「井伊侍従藤原朝臣直孝」

井伊直政の息子、

井伊直孝の寄進ですが、

何故に譜代大名の井伊さんの燈籠が、

外様大名と同じ場所なんでしょう・・

しかも伊達さんよりも格下だし。

本来は上の段にあるはずですが・・

井伊直弼の暗殺(桜田門外の変)で、

彦根藩が10万石を減俸された時期に、

燈籠も格下げされたのでしょうか?

何かと興味は尽きませんね(笑)

(続く)

 

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