2022/01/01

高野山・奥之院(8)

 

雨時々重要文化財(笑)

奥之院滞在中は、

小雨が降ったり止んだり。

この雨の意味は、

奥之院訪問の翌日知る事となったのですが、

参詣時には、さして深く考えもせず(笑)

そして時々、思わぬ所で

僕が大好きな古い建築物が

サプライズ的に登場し感動!

なので、

雨時々重要文化財・・かな?(笑)

伊予 河野通直墓所

河野通直(みちなお)は、

豊臣秀吉の全国統一過程の中で、

大名を改易された人・・・

くらいの認識なので、

Wikipediaの力を借ります(笑)

「豊臣秀吉による四国攻めが始まると、

河野氏は進退意見がまとまらず、

小田原評定の如く

湯築城内に篭城するが、

小早川隆景の勧めもあって

約1ヶ月後、小早川勢に降伏した。」

「通直は命こそ助けられたが、

所領は没収され、

ここに伊予の大名として君臨した

河野氏は滅亡してしまった。

通直は隆景の本拠地である竹原にて

天正15年(1587年)に病死

(隆景が通直を弔った墓は竹原に現存)。」

このように書かれています。

河野さんは、

戦国時代に亡くなっていますが、

この墓所は比較的

新しいような・・(想像です)

参拝。

大山祇神社の神紋と似た、

折敷揺れ三文字と折敷三文字

の家紋が刻まれていますね。

羽後 秋田 佐竹家墓所

次は佐竹家の墓所。

ここが冒頭書いた、

「雨時々重要文化財」の

所以たる墓所の一つです。

佐竹家は、豊臣政権末期、

常陸国(茨城県)の領地を

安堵されたものの、

関ケ原の戦いでは、

曖昧な態度をとったことで

家康の不信をかってしまい、

秋田に転封&減封されていますが、

佐竹家は明治維新まで続き、

現在の秋田県知事の佐竹敬久さんも、

佐竹家の血筋だそうです。

正面は他の大名と同じく

鳥居・玉垣、そして五輪塔の

高野山スタンダード(笑)

五輪塔に参拝。

普通はここで完了なのですが、

この背後に、霊屋(たまや)らしき

建物を発見したのです。

何か古そうだと思いながら、

ここにも改めて手を合わせます。

家紋は「扇に月(日の丸扇)」

ここには特別に案内があるので、

それを読んで見ました。

「佐竹義重霊屋

重要文化財建造物・世界遺産

一間四方という小規模ながらも、

屋根は切妻造り、檜皮葺としています。

正面向かって右の柱に

「常陸国佐竹為義重逆修造立之」

左の柱に

「慶長四己亥十月十五日」

(西暦1599年)の刻銘があって、

造立年代が明らかな点でも貴重なものです。

また特徴的なのは、

木造の卒塔婆の角材を、

正面、側面、背面と47本建て並べ、

壁にしている点で、

極めて類例が少ない

霊屋ということができます。」

このように書かれています。

「逆修」という事は、

生前建てられたものですね。

奥之院にある石田三成のお墓

同じ逆修墓でしたので、

逆修墓、意外と多いのかも知れません。

そして、案内に従って、

右左の柱を見てみると・・・

あった~!(笑)

卒塔婆になった右の柱には、

ちゃんと佐竹さんの名前が

しっかりと刻まれています。

左も確認。

慶長四年・・・

こちらも完璧に残っていますね。

いやはや、

これは凄いものを発見したものです!

お隣の敷地から霊屋を撮影。

確かに卒塔婆で囲ってありますね。

ちなみに、

卒塔婆で囲った古い霊屋は、

月山富田城でも見ています。

(卒塔婆の素材は石でしたが)

屋根の家紋も

黒と金で何とも渋いじゃないですか!

う~ん、満足(笑)

筑後久留米 有馬家墓所

奥之院(3)のブログでも登場した

有馬家ですが、

大名によっては何箇所かの墓所が

点在しているのも奥之院の特徴です。

鳥居をくぐり奥へ。

参拝。

(続く)

 

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