西高木家陣屋跡(岐阜県大垣市)

 

明智光秀生誕地・・かも?

僕たちが関が原へ出陣(笑)する数日前、

ネットで島津豊久の墓を調べていた時、

そのお墓がある近くにも、

明智光秀生誕地の一つがあるという

ことを発見しました。

前半生の記録が少なく、

謎に包まれた

光秀の生誕地候補地のうち

岐阜県の、可児市恵那市明智町

滋賀県の多賀町を訪問してきましたが、

「ついでに行ける」ならば、

是非訪問してみたい!

というわけで、ハードスケジュールが、

さらに超ハードに・・・。

いつもの欲をかくパターンですが(汗)

西高木家陣屋跡へ

島津豊久の墓から

車で数分ほど関ヶ原方面に戻ると

西高木家陣屋跡があります。

パンフレット。

反対側のわかり易い案内図。

上石津郷土資料館

閉館時間が迫っているので、

まずは、真ん中の「郷土史資料館」へ。

資料館の左側には、

桔梗紋と多羅城の文字が輝いています。

資料館入り口。

館内は撮影禁止でしたが、

充実した展示で大いに楽しめました。

その館内でいただいた

パンフレットがこちらです。

右のイラストは島津豊久公、

真ん中は明智光秀公と、

お勧めツートップがあしらわれています。

この中から、

「多羅城と明智光秀」の説明を抜粋すると、

「明智光秀の多羅城出生説を裏付けるのは、

江戸時代の国学者、塙保己一が著した

「続群青類従」の「明智系図」と、

「大日本史料」の

「明智氏一族宮城家相伝系図書」である。

これらによると、

誕生した日付に違いはあるものの、

光秀は享禄元(1528)年に

美濃国多羅城もしくは

多羅で生まれたとある。

多羅には進士山岸家の居城があり、

山岸家と明智家は

代々重縁であったとされる。

しかし、

多羅城の所在地はいまだ謎である。」

このように書かれています。

塙保己一さんの裏付けがあるのが、

凄いことですね!

散策モデルコースには、

「明智コース」、「島津コース」

「高木家コース」があります。

やはり今の旬は明智さんですかね(笑)

展示物の案内。

「名古屋大学附属図書館が所蔵する

「高木家文書」が、

「交代寄合西高木家関係資料」の名称で、

令和元年(2019)7月23日に

国の重要文化財に指定されました。」

「江戸時代から明治時代にかけての

古文書、古記録、絵図等が

まとまって現存しており、

多くの旗本文書が

幕府瓦解により散逸した中で、

傑出した規模と内容を有する

文書群として知られている。」

このように書かれていて、

何だか奈良時代に編纂された

全国の風土記の写本のうち、

出雲国風土記のみが完本で残っているのと

同じくらいの価値がありそうですね。

戦国期の「明智光秀コーナー」、

薩摩藩が関わる、

「関ヶ原と、島津軍の背進コーナー」

「宝暦の治水と高木家コーナー」など

見どころが満載でしたが、

やはり写真が無いと、

良く思い出せないのも事実(汗)

これが老化なのか、元々なのかは

わかりませんけどね(笑)

長屋門・石垣

ここの見どころである長屋門と石垣へ。

陣屋跡。

明治以降には、

中学校もあったようです。

長屋門。

案内。

性格な見取り図。

上屋敷跡が資料館、

下屋敷跡が駐車場になっています。

長屋門の右側からは、

石段があり、下の石垣に繋がっています。

 

 

長屋門横から見た石垣。

石垣の下から。

まるでお城なみの石垣が、

今も綺麗に残っています。

埋門付近の石垣。

埋門跡。

ここが城郭然としていた光景を想像し、

往時の繁栄に思いを馳せられる場所です。

島津豊久公の導きと、

明智さん繋がりでここに来られた事、

お二人に感謝ですね!

ん?

西高木家の方々が主役だったか~(笑)

名古屋駅にて

西高木家陣屋から

運転すること約2時間ほどで、

名古屋駅に到着。

イルミネーションの季節だな~。

新幹線に乗る前の定番、

洋麺屋五右衛門で夕食。

名古屋の自分土産は、

「赤福」と「栗ういろ」。

赤福は三重県のものだけど、

美味しいから気にしません(笑)

博多行き最終列車、

のぞみ号が入線。

中身が濃すぎた(笑)

今回の旅もこれで完了です。

 

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