乃木館(香川県善通寺市)乃木記念室
お出迎え
「陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館」。
これは乃木館の正式名称で、
実際、現役の自衛隊員が勤務している
建物の一角が資料館として
公開されていて、
必然的に、
「自衛隊駐屯地内」での見学となり、
駐屯地に入る際には、
氏名などの記入が必要です。
そして、ここで圧巻なのが、
乃木館に到着した時には、
自衛隊員が待機して出迎えてくれる事です。
入口の隊員から館内の隊員に
即、
「怪しい夫婦が乃木館に向かってます
ご注意あれ!」
なん〜て連絡が入っているのでしょうから
これなら不審者は誰一人入れませんよね。
さすがは自衛隊!
セキュリティ対策は抜群です。
当然、怪しい夫婦も怪しいことは
出来ず仕舞いでした(笑)
外観
ご近所にある乃木館へ。
レンタカーを入口付近の駐車場に停め、
受付を済ませて散策スタート。
ここはまるで神社の参道ですが、
右側には戦車や航空機など多数が展示され、
ここが国防の最前線であることを
改めて認識させてくれます。
しかもちょうどこの時、
広場の一角では訓練の真っ最中で、
そのキビキビした号令と
隊員たちの動きの素晴らしさに
僕たち二人は超感動!
そして、
妻のテンションもマックスに(笑)
もうすぐ乃木館。
ここで両脇にそびえる
カイヅカイブキについての案内を発見。
日露戦争の戦勝記念で植樹され、
「203高地の激戦以上の苦難を
克服できるように」との思いが
込められているようです。
乃木館全景。
斜めからも撮影。
建物の由来を
抜粋すると以下になります。
「この建物は、明治31年10月
帝国陸軍第11師団が
四国全域を管区として編成された際、
師団司令部として運てられたもので、
初代師団長には、
軍神とあがめられた乃木将軍が
着任されました。
別名「乃木館」とも呼称されております。
現在は1階を第14音楽隊、
2階を資料館として配置し
現在に至っております。
この建物の2階にある
乃木室(日師団長室)には
乃木将軍御愛用の机、椅子、書をはじめ
歴代師団長の遺品など
貴重な資料が数多く保存されています。」
乃木館入口から中へ。
冒頭に書いた自衛隊員は
奥の玄関右側で
待機していました。
印鑑(スタンプ)
隊員さんにご挨拶し観覧開始。
乃木資料館配置図。
レトロな階段で2階へ。
いかにも明治時代といった雰囲気です。
階段上でのお出迎えは「印鑑」!
「旧陸軍第十一師団司令部職印」と
案内されています。
その印鑑にちなんだイベントがこちらです。
来館証明書のスタンプ押し。
これが、来館した証(笑)
乃木記念室
最初に乃木将軍ゆかりの部屋へ。
明治っぽいアーチ型の天井装飾、
さらに奥へ。
乃木記念室入口。
部屋の全景。
以下、案内の抜粋です。
「この部屋は歴代師団長が
実際に執務をされたお部屋です。
それほど広いお部屋ではありませんが、
三方に窓があり風通し、
日当たりが一番いいお部屋です。」
中央の机と椅子は実際に
歴代師団長が使用されていたものです。
小さい方の椅子が
初代乃木将軍から第5代まで。
大きい方が第6代から最後25代までの
師団長が使われたものです。
乃木将軍は「質素・倹約」を
旨とされていました。
この椅子一つを見てもその
「質素・倹約」ぶりが伺えます。」
椅子と机。
乃木将軍の椅子は小さくて
写真に隠れていますね(笑)
二つの椅子。
小さい方が乃木大将の
使ったものだと
ちゃんと案内されています(笑)
こんな質素な椅子を
師団長が使っていたとは・・
椅子一つ見ても
高潔なお人柄が偲ばれます・・
乃木大将に敬礼!
水師営の会見コーナー。
日露戦争において
旅順要塞陥落後、
ロシア軍司令官ステッセルたちとの
集合写真。
案内には、
降伏したロシア側のサーベル帯刀を認め、
相手に恥をかかせない
配慮をしての記念撮影や
敗軍の将、ステッセルが
ロシアで旅順敗戦の責任を問われ、
死刑を求刑された際の減刑嘆願や、
その後の仕送りなど、
乃木大将の気高い武士道精神、
そして乃木大将殉死を知った
ステッセル夫人からの
匿名での香典などの逸話が書かれています。
僕は知っていた事とはいえ、
乃木大将の凄さを感じると共に、
「人に恥をかかせない」
要するに「晒さない」ということが、
いかに大切なことかを
改めて思った次第です・・
乃木大将の書など。
乃木大将の経歴や歌(詩)日記など。
乃木記念室の見学はこれで終了です。
(続く)