織田神社(兵庫県丹波市)
織田信長の血統
Wikipediaを要約すると
「織田信長の弟・信包(のぶかね)は
慶長3年(1598年)6月、
伊勢国安濃津から
柏原3万6000石に移封された。
これが柏原(かいばら)藩の立藩である。
三代藩主、信勝に嗣子が無く断絶、
一時幕府領になるもその後、
元禄8年(1695年)4月14日、
信長の次男・織田信雄の
五男・織田高長から始まる
大和宇陀藩の織田信休が、
2万石で柏原に入部したことにより、
柏原藩が立藩された。」
とあり、後期の柏原藩は、
明治維新まで続いています。
要するに信長の弟と息子が、
柏原藩主として、
織田家の血筋を伝えたとういわけです。
その初期柏原藩の三代藩主、
織田信勝を祭ったのが織田神社ですが、
僕はこの史実を全く知りませんでした。
この日の午前には明智光秀ゆかりの
その後の目的地である
柏原八幡宮の参道で、
光秀によって命を落とした
織田信長の末裔に関わる地に
偶然足を運ぶ事になるとは、
何かの引合せだったのでしょうか(笑)
織田神社へ
柏原の大ケヤキの真ん前に
鎮座しているのが、織田神社です。
社頭。
境内へ。
側面に、「・・・織田信親謹書」
と書かれていますが、
この方は柏原藩最後の藩主です。
逆光の中燈籠を撮影。
嘉永二己酉と刻まれていますので、
1849年の寄進です。
お墓的なものと手水鉢。
拝殿へ。
拝殿前の常夜燈(燈籠)。
「寛延二己巳六月」と
刻まれていますので、
こちらは社頭のものよりさらに
100年ほど古い、
1749年の寄進です。
また、「愛宕常夜燈」の文字からして、
近隣の愛宕神社(愛宕権現)からの
移設かも知れません。
参拝。
参拝後、御社殿を背にして
社頭方面を眺めると、
柏原の大ケヤキが、この織田神社を
守っているかのようにも見えます。
しかし、
逆に神様が見守り続けてくれる
大ケヤキもご利益を
貰っているはずですので、
持ちつ持たれつかな?(笑)