小谷神社(滋賀県長浜市)

 

敵の神社が味方した?

小谷神社の案内板を読むと、

何とも不思議な気持ちになります。

その案内を超訳すると、

「もともと、小谷城主要部の最奥にある

山王丸にあった「山王社」である。

「山王社」は日吉神社と同意で、

比叡山の地主神を指す。

天正19年(1591年)

12月25日の

「豊臣家奉行人算用状」

(称名寺文書)によれば、

豊臣直轄領の収入から100石が

「小谷山の山王」に支払われており。

小谷落城後も山王丸旧地に

存在したことが確認できる」

「その後、合祀されたり、

小谷城登山口に遷座したりして、

昭和49年(1974年)現地に

移された」

と書かれています。

これで、豊臣秀吉が、

比叡山焼き討ちで焼けてしまった

山王社(日吉大社)

社殿を再興したのと同じ時期に、

小谷城の山王社に対しても

寄進していたことがわかります。

浅井氏滅亡後、その領地を10年近く

統治していた縁がある事や、

秀吉の幼名である日吉丸と

「日吉社」の名前の共通点、

また、あだ名の「猿」は、

山王社では「神猿(まさる)」と呼ばれ、

神使でもあり、

秀吉にとっての山王社は、

小谷山のものも含めて、

きっと特別な神社だったのでしょう。

そう考えると、秀吉が主体となって

小谷城を攻略出来た一つの要因は、

崇敬する山王社がその城内にあった事、

そして攻略成功の

感謝も含めての寄進だったのか?

まさかとは思いますが、

神の思し召しというのは、終局的に、

「平和」を作り出す方向でしょうから

秀吉こそが全国統一を成し遂げられる事を

知っておられたのかも知れませんね。

小谷神社へ

小谷城シャトルバスでお世話になった

戦国ステーションに車を置いたまま、

徒歩にて参拝に向かいます。

のどかな田舎道は癒やされます。

小谷寺と共有の参道。

神社は参道途中の右側、

駐車場の前に鎮座しています。

素朴な木製鳥居。

冒頭で紹介した案内板。

山王丸の写真も紹介されていて、

次回は山王丸まで

登ってみたい気分です(笑)

参拝。

参拝後、入母屋造りの本殿を

斜め前から撮影。

この後は、小谷寺へと向かいます。

 

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