2021/08/23

大江天満神社(福岡県みやま市)

 

幸若舞

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、

夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

これを菩提の種と思ひ定めざらんは、

口惜しかりき次第ぞ」

織田信長が好んで舞ったという

幸若舞の「敦盛」の一節、

冒頭の部分は多くの日本人が

知っているでしょう。

Wikipediaによると、

信長公記には桶狭間に向かう前、

これを舞ったと書かれているそうです。

また、この幸若舞は江戸時代には

上演される事が少なくなり、

明治維新でほぼ消滅している中、

ここ大江天満神社の幸若舞保存会が、

全国唯一の幸若舞の

口伝継承地となっていると書かれています。

神門

境内に車を置き、

社頭から参拝開始。

いきなり、

古い石造物に目を奪われます。

一の鳥居は、江戸時代末期、

元治元年(1854)の建立。

そして注目すべきはこちら。

左右の灯籠を見ると、

その柱部分には、

深い縦彫りが施されています。

あまり見かけない珍しいものですが、

この意味は何なのでしょうか?

もしかすると「筋状に彫った盃状穴」として

子宝祈願などの意味合いを

持つものかも知れません。

そして、基礎部分には、

本家(笑)の盃状穴が。

歴史を物語る、

素晴らしい灯籠にも関わらず、

その存在は、知られていません。

実に勿体ない文化財たち・・・。

神門。

これまた見るからに

趣がありますね!

繊細な彫刻に見惚れながら、

神門に入ると、

左右には狛犬&随神様が

配置されています。

阿形の木造狛犬。

阿形の随神様。

吽形の木造狛犬。

吽形の随神様。

江戸時代の石鳥居、灯籠、

さらに神門、木造狛犬と、

大江天満神社、

間違いなく素晴らしい神社ですよ!

門を出るとイチョウの木の先に

拝殿が見えています。

イチョウの木。

樹齢は150年位でしょうが、

何とも美しい形をしています。

拝殿にて参拝。

拝殿内に掲げられた扁額

「太宰府神社」の由緒について。

要約すると、

太宰府天満宮直属の

御分霊社であるという証だと

書かれています。

美しい天井絵。

「扁額の文字は、

柳河藩十二代藩主、

立花鑑寛(あきひろ)公の侍講で、

伝習館助教兼寺社方を命ぜられた

安武厳丸(いずまる)であり、

達筆家としても知られた

当代超一流の学者である。」

(先程のご由緒による)

本殿。

本殿裏の御神木、オオクスと妻。

本殿裏側から見た麦畑。

これも400年以上前、

立花家の前の藩主だった、

田中吉政の施策の一つが、

今に生きているのかも知れません。

境内社

次に境内社へ。

神様はわかりませんが、参拝。

同じく、神様は不明ながら参拝。

幸若舞堂

冒頭に書いた

幸若舞の継承は

この幸若舞堂で行われています。

幸若舞の由来。

「幸若舞は室町初期、

越前の桃井直詮(もものいなおあき)

(幼名幸若丸)によって

始められた舞曲である。」

冒頭にはこのように書かれています。

そう言えば、織田信長のルーツは、

越前(福井県)の神主さんですから、

信長が幸若舞を好んだ理由の一つに

自分の祖先を想う気持ちが

あったかも知れません。

神門と幸若舞堂。

幸若舞堂。

以前は茅葺きだったのを

近年の改修により

銅板葺きに変えているようで、

やはり茅葺きの維持管理は

大変だったのでしょう。

道の駅みやま

旅のフィナーレは、

自分たち土産の購入(笑)

酒のつまみ的なものばかり

数点を購入。

美味し~くいただきました(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください