田中吉政公之像(福岡県柳川市)

 

分かりやすい顕彰

天正十八年(1590年)

小田原合戦で北条氏滅亡し、

家康が関東に移封された後、

徳川家康が生まれた城である

岡崎城主となった田中吉政は、

岡崎城の拡張、

田中堀と呼ばれる町を囲うような総堀、

東海道を岡崎の中心に引き込む

「岡崎城下の二十七曲り」など、

岡崎城下を大きく整備しています。

当時秀吉の家臣だった吉政ですから

確実に関東の家康対策だったはずですが、

結果的には、多くが現在にまで残る

貴重なものばかりとなっているのは、

この人の街づくりが

大いに秀でていた証拠でしょう。

そして、関ヶ原の戦い後、

筑後国柳川藩主としての功績を顕彰し

田中吉政公之像が建てられたのが、

今から30年ほど前、平成2年のこと。

柳川において、

立花宗茂や立花家は有名でも

恐らくあまり知られていない田中吉政、

偶然にも、

僕たちが、柳川市の旅をする前日、

テレビ番組で、田中吉政公之像の事を

知りました。

銅像によって初めて

田中吉政の功績を知る人もいるはず。

やはり銅像は分かりやすい

顕彰施設と言えそうですね。

田中吉政公之像へ

御花(おはな)近くの有料駐車場から

徒歩で田中吉政公之像へ。

城堀に架けられた橋。

柳川城跡の中学校横の堀。

こんな所を歩くだけでも、

柳川の雰囲気を感じられますね。

そして、歩くこと約10分、

田中吉政公之像は、

こんな場所に建てられていました。

川下りの舟から見ると、

正面に位置する田中吉政公之像。

この場所を建立地に選んだ方々、

いいセンスしています!

川下りの舟目線だとこんな感じで、

田中吉政さんは視界に入ってきます。

関ケ原での軍配を扇子に持ち替え、

平和な世の中のインフラ整備に

邁進する田中吉政の姿。

いいデザインだ~!

遠眼鏡(望遠鏡)も持っています。

正面から。

お顔のどアップ。

像の裏側に彫られた案内。

これはここに来る前に訪問した、

田中吉政公の墓がある

真勝寺の顕彰碑の案内文と同じですね。

妻の喜んだ顔。

何故喜んでいるかというと、

ここに書かれている

田中吉政の生まれ故郷、

「近江国高島郡田中村」は、

去年僕たちが訪問した

田中城がある場所だからです。

きっと田中城と田中吉政は

何か関係あるに違いない?

(勝手な推測)

妻の指先扇子(笑)

そして、また一艘の川下り舟が・・・。

船頭さんが乗客たちに話している

田中吉政公之像の説明が聞こえてきます。

そして、舟は兵右衛門橋下へ。

柳川の平和でのどかな風景を

毎日見守ってくれる田中吉政公、

筑後国主として治世に携わったのは

8年位の短期間だったけれど、

川下りをはじめとして、

その計り知れない功績は今の世にも

引き継がれています。

 

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