生松天神社(福岡県糸島市)境内社
 
 海感満載
僕たちが参拝した境内社は六社ですが、
その半分は海にまつわる神様でした。
漁港に近い事もあり、
この近辺は昔から漁業関係者が多く、
必然的に生松神社は、航海の安全や、
豊漁を祈願する人々の
心の拠り所となったのでしょう。
ということで、
老松天神社は海感満載のお社でした!
境内社参拝
境内社には夫々詳しい案内があり、
それに敬意を表して
基本書き出す事としますが、
神社のサイトの方が、
正しいと思われる漢字だったり、
最新の住所表記だったりするので、
それも参考にしています。

本殿の右横には、
境内社の親分的存在の
金毘羅宮が鎮座しています。
この金毘羅宮ですが、
下からの専用参道が設られているので、
一旦そこまで降りてから
改めて参拝を開始することに。

左が本殿への参道で、
右が金毘羅宮への参道です。

注連縄柱の榊が新鮮で、
大切にされているんだな〜
なんて嬉しくなります。

デザインが凄い手水鉢。

拝殿。

「金毘羅宮謂れ」
「総本宮:金刀比羅宮
【金刀比羅神社・琴平神社】
香川県仲多度郡琴平町の
象頭山東側中腹に鎮座。
御祭神:
・大物主神(おおものぬしのかみ)
・崇徳(すとく)天皇
大物主神は国造りの神として五穀豊穣、
産業、文化などの繁栄及び厄除け、
治病、交通・航海安全、縁結びなど
広く神徳を持つ神様として
人々お厚い信仰を集めている。
古来からの伝承によれば、
早期から大物主神をお祀りして
琴平神社(ことひらじんじゃ)と称し、
中古には神仏習合により金毘羅大権現
(こんぴらだいごんげん)と称した。
そして、平安時代末期
万永元年(1165)には、
保元の乱にあって讃岐に流されたまま
崩御された崇徳天皇の御霊を
合わせてお祀りした。
明治維新の神仏分離令により、
金刀比羅宮と称している。」
当社由緒
文政元年(1818)に、
現香月区(久家区の隣)の青木氏が
金毘羅宮総本宮から勧請し、
自宅の裏山に祀ったことが起源。
嘉永三年(1851)
大雨による山崩れにより
御霊を氏神である
生松天神社の神殿へと移した。
そうしたところ、
社家(宮崎氏)の子息の身体に
異変が起こり、
これは神怒であると考え、
生松天神社の南隣に
新しく神殿を構えることとした。
すると子息は元の通り健康になった。
その為毎月の十日を祭日と定めて
奉仕に努めた。
今も四月十日は地元住民が集まり
大祭を行なっている。
※日本の古い民謡で、舞妓・芸妓と行う
お座敷遊びの曲としても有名です。
♪金毘羅船々 追手に帆かけて
シュラシュシュシュ♪
まわれば四国は讃州那珂の郡
象頭山 金毘羅大権現
一度まわれば♪」
2020年、コロナ禍が始まった頃、
緊急事態宣言が出る1ヶ月ほど前、
僕たちは香川県の総本宮、
金刀比羅宮に参拝し、
奥社に行く途中、
崇徳天皇を祀る白峰神社にも
参拝しています。
天皇という地位につきながら、
戦に負けたことで、
流刑地で亡くなった崇徳天皇、
讃岐で崩御された時のその思いは、
いかばかりだったのでしょう・・

参拝。
金刀比羅宮の神紋の丸金、
なんかテンション上がります(笑)

本社と同じく、
こちらも本殿は覆屋付き。
よって中は見えませんが、
ここからも参拝。

「稲荷神社」
「総本社:伏見稲荷大社
京都市伏見区深草藪之内町68番地
旧官幣大社 現単立神社
御祭神:稲荷大神
(宇迦之御魂神[倉稲魂命])
御神徳:商売繁盛・産業興隆・
家内安全・交通安全・芸能上達」

「恵比須(恵美寿)神社 海亀石」

「恵比須(恵美寿)神社
海亀石
(夷・戎の神名が用いられることもある)」
総本社:
美保神社(旧国幣中社、現別表神社)
島根県松江市美保関町美保関鎮座
御祭神:事代主命
総社では美穂津姫命を合わせ祀る。
御神徳:航海安全・漁撈守護、
更に五穀豊穣、家運隆昌、商売繁盛、
家内安全の神として広く信仰を集める。
ここに斎祀る海亀石を撫でると
御利益を授かることが
出来るといわれている。」
島根県の美保神社には、
素晴らしい思い出しかありません(笑)
朝の参拝時に偶然見た雅楽と巫女舞、
200年の月日を感じさせない
美しい備前焼狛犬、
今も脳裏に焼き付いています・・
そして、
境内にあるもう一つの恵比須神社が
こちらになります。

「恵比須神社」

「恵比須(恵美寿・夷・戎)神社」
総本社などは海亀石の恵比寿神社と同じ。
「※ この社は老松天神社と
金比羅宮の間の奥に祀られてあった
小祠を昭和四十一年頃、
久家船頭の人等が敬神の念篤く
近くの浜より石を運び上げ
奉納し直したものである。」

「秋葉大権現(秋葉神社)」
「総本社:秋葉山本宮秋葉神社(別表神社)
静岡県浜松市天竜区春野町領家に鎮座
御祭神 火之迦具土大神
御神徳 鎮火 防火の神。
昔は火災が多く
勧請して祀ったものと思われる。」
この秋葉神社も全国津々浦々に
勧請されていますね。
総本宮の秋葉神社には未参拝ですが、
「境内社」としては、
過去、無数に参拝しています(笑)

「猿田彦大神」
導きの神様なので、
本当は最初に参拝すべきだったかも?
まあ、いつものように
気にしていませんが(笑)

「猿田彦大神」
「総本社:猿田彦神社(別表神社)
三重県伊勢市宇治浦田町鎮座
御祭神:猿田彦大神
総社では、大神の裔大田命を相殿に祀る。
御神徳:
「古事記」によると
猿田彦大神は天孫降臨に際し、
天孫邇邇芸命を日向国に案内したとされ、
導きの神として知られる。
このことから「道祖神」にも擬せられ、
旅安全の神として、
全国至るところの道筋に
祠や石碑が建立されている。
戦後は道路改良工事等により
神社境内地に移設される例が多い。
当社も久家地区の道筋から
移設されたと思われるが、
移設前の鎮座場所は不明。
なお、当社では
陰陽石を合わせて祀っているが、
糸島では珍しい。
総社相殿に祀る大田命は、
垂仁天皇の御代(西暦前十九年頃)、
皇女倭姫(やまとひめ)が
天照大御神御鎮座の大宮地を求めて
伊勢の地へ進まれたとき出迎えられ、
宇治の五十鈴川の川上の地を奉献し、
伊勢神宮創建に功があったとされる。」

参拝。
何故、猿田彦さんに陰陽石があるのか?
以下は、
僕の勝手な想像ですが、
猿田彦大神の奥様は、
天岩戸の前で裸踊りをした、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
ともいわれ、
その踊りを見た男神様たちの
歓声を聞き天照大神が思わず、
岩戸を開けてしまって、
世の中に再度光が戻ったという、
大変重要な役割を果たしています。
なので、陰陽石は、
夫婦和合、家庭円満、とか、
そんな意味もあるかと思います。
まあ、どうなんでしょうか(笑)
そして、
ここまでで全ての参拝は完了です。
刀伊の入寇など、
ここが歴史的な場所であることを知れた
老松天神社に参拝できたこと、
本当に良かった!
 
             
             
             
             
             
             
            