岡山城(令和5年3月)外観編(1)

 

リニューアル後初訪問

昨年秋、リニューアルされた岡山城。

その紹介映像を見て感動した妻の要望で、

当初考えていた青春18きっぷの旅で

広島界隈を巡る予定を

白紙に戻して、岡山へ。

妻のお言葉に左右される

単純な僕です(笑)

まあ、僕自身、

今回のリニューアルは、

岡山出身の歴史学者、

磯田道史さんの監修なので、

かなり期待していました。

結果から言えば、

滞在予定時間が大幅に過ぎてしまい、

午後からの訪問先を

一部カットするくらい、

期待を遥かに越えた素晴らしいもので、

大いに楽しませていただきました。

妻のお言葉に感謝しております(笑)

烏城公園駐車場

岡山に到着後、

まずは2日間をともにする相棒の元へ。

オリックスレンタカーにて

相棒とご対面(笑)

そして、早速岡山城近くの

烏城公園駐車場を目指します。

こちらは内下馬門に立てられた地図。

左下の赤丸で囲ったのが

烏城公園駐車場で、

岡山城を訪問するには、

ここが一番便利かと思います。

駐車場からは内堀を挟んで、

石垣や月見櫓、天守の一部など

素晴らしい光景が広がっています。

が、

お腹が減って倒れそうな僕たちは、

ここでお弁当タイムスタート(笑)

岡山駅で購入していたお弁当。

僕は「大きな海老フライとえびめし」。

妻は「岡山名物 えびめし」

「えびめし」って、

岡山名物でもあるんですね!

内下馬門

弁当をめっちゃ美味しくいただき、

腹ごしらえも完璧、

ここから元気に城巡り開始です。

南西隅から撮影。

内下馬門と目安橋。

白鳥が一羽、

優雅にまどろんでいますが、

白鳥を見るたびに、

どうしても志村けんの白鳥を

思い出す僕たちです(笑)

目安橋の案内には、

「大手(表口)から本丸へ通じる橋で、

池田光政の代に、

橋のたもとに領民からの

投書を受け付けるための

目安箱が置かれたことから

この名がつきました。」

このように書かれています。

名君と言われた池田光政さん、

目安箱の設置は、

幕府(徳川吉宗)よりも

先駆けていたようです。

目安橋を渡り内下馬門へ。

門の両脇と正面の

鏡石らしき巨石が、

すぐ目に入ってくるので、

来訪者に対しての権威誇示、

ちゃんと機能していますよ(笑)

岡山城案内。

「岡山はじまりの地 岡山城」

文章を書き出すと以下になります。

「岡山の地は、

宇喜多直家が本拠としたことにより、

戦国の表舞台に登場します。

岡山城が天守や高石垣を持つ

近世城郭として巨大な姿を見せるのは、

直家の子・宇喜多秀家の時代で、

慶長2年(1597)の

完成といわれます。

岡山と呼ばれる丘の上に本丸を移し、

旧河道を利用して流れを変えた

旭川を背後の守りとしました。

同時に商人や職人を集めて

立ち上げた城下町が、

今の岡山の礎となりました。

慶長5年(1600)、

秀家は天下分け目の関ケ原合戦

西軍の主力として戦い、

敗れて八丈島に流されます。

その後、小早川秀秋

次いで池田家が城主となり

明治維新まで続きました。

天守は外壁の下見板が

黒塗りであったことから

「烏城」(うじょう)の名で親しまれ、

また他に例のない不等辺五角形の

天守台を持っています。

昭和20年(1945)の空襲で焼失し、

昭和41年(1966)

再建(外観復元)されました。

現在、本丸は史跡に指定され、

歴代城主によって整備された

様々な積み方の石垣を

見ることができます。」

前に立てばわかる大きさ

「内下馬門付近の巨石」

案内を書き出すと以下になります。

「池田家時代に築かれたものと

考えられていて、

徳川幕府が築いた

大阪城最大の巨石である蛸石は、

家康の孫にあたる岡山城主

池田忠雄により運ばれたと

いわれています。」

確かに「立てばわかる」(笑)

枡形の石垣の上も登れるので、

ちょっと俯瞰してみます。

桝形虎口が良くわかりますね!

中の段南西部の石垣

内下馬門から中の段石垣へ。

この平面全体が下の段で、

石垣の上が中の段なので、

石垣の名前は

「中の段の石垣」の呼称が

付けられています。

左の石垣と積み方を比べてみよう

「中の段南西部の石垣」

案内を書き出すと

以下になります。

「小早川秀秋が築き、

次の池田忠継のときに

改修された石垣です。

あまり加工していない石材を

緩い角度に積むのが特徴で、

高さは11mあります。

右には大納戸櫓の石垣が接し、

左には1620年代に池田忠雄が築いた

切石積みの石垣が接しています。」

確かに、

ぱっと見ただけで、

石の積み方が違います。

供腰掛

一旦引き返し下の段へ。

ここから右奥へ。

リニューアルで復元された「供腰掛」。

供腰掛とは藩主が登城中、

家来たちが待つ場所のことです。

この中には、

ちょっと楽しい仕掛けが(笑)

江戸時代の岡山城俯瞰図。

これは楽しい!

元禄十三年(1700)の

御城内御絵図(左)と、

安永六年(1777)の

御城御書院御絵図。

櫓などパーツの絵図。

「牙城郭櫓実測図」

案内を書き出すと

以下になります。

「旧岡山藩池田家に伝来した絵図で、

現在は表紙がつけられ

一冊の折本に偏冊されています。

副題に「元小作事棟梁秘書」と

つけられており、

修理などの手控えあると同時に、

軍事機密とされていた文書です。

岡山城の天守、櫓、城門などの

平面図と外観を実測に基づいて、

正確かつ鮮やかに描いており、

失われた建物群の様子を知る

貴重な資料となっています。

(岡山大学附属図書館蔵)」

凄いものが紹介されているんですね!

お城好きにはたまりませんな~(笑)

これを公開したことでも

リニューアルは大成功ですよ(笑)

(続く)

今日の自動販売機

岡山城のご当地自動販売機は、

こんな感じです。

家紋好きな僕たちは、

岡山城のイラストよりも

側面の家紋が目を引きます(笑)

宇喜多秀家の兒文字、

小早川秀秋の違い鎌、

池田家の揚羽蝶。

素晴らしい!

 

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