岡崎城(令和7年1月)天守外観

八丁(870m)
「八丁味噌」の八丁とは、
岡崎城と味噌生産場所の距離を表します。
八丁は約870m。
僕たちは工場見学をした
八丁味噌メーカーのカクキューから
岡崎城までを歩き
「八丁体験」をしてみました。
うろ覚えの道のりを
Googleマップに書き込んでみましたが、
大体はあっているでしょう(笑)
カクキューから岡崎城
カクキューを出ると程なくして
岡崎城の天守が見えてきます。
現代は電線だらけだし、
ビルもあって天守も最上階しか
見えませんが、
江戸時代ならばくっきりと
天守全体が見えていたはずで、
毎朝この光景を見れば自ずと
「今日もいい味噌造るぞ〜!」
ってな気分になること
間違いなしでしょう。
物作りは心の整え方も大切な要素。
この場所だったからこそ
長年素晴らしい味噌を
作り続けられたのかも知れません。
豊臣政権時代、
田中吉政が整備した
岡崎城下二十七曲りの一つ
板屋町角まで120m標識を通過。
城内への入り口、竹千代橋。
竹千代通りの案内像と
NHK朝の連続テレビ小説の遺構(笑)
寺島しのぶさんの手形。
岡崎城
まずは案内板を確認。
これは素晴らしいですね!
青色で示されているのが現存する堀、
黒色で示されているのが埋没した堀です。
これを見ると田中吉政が造った
乙川を南端とする
総堀(城下を囲む堀)の雰囲気も味わえます。
龍城堀と名付けられた岡崎城内堀と
龍城神社への神橋が見えていますが、
今回は西側の登城路から天守を目指します。
夕陽に照らされる石垣は圧巻です。
新旧石垣の境目。
左は野面積みなので、
文禄・慶長の頃、
田中吉政時代の古いもの、
右は打ち込み接ぎですので、
恐らく江戸時代前期のものかと
推測します。
打ち込み接ぎには、手の込んだ
すだれ仕上げ(削り仕上げ)が施され、
ここが徳川幕府にとっての
「聖地」であることが感じられます。
野面積み&天守。
程なくして天守に到着。
お城好きには話題となっていた
「松の木の伐採」も確認(笑)
ちなみに5年前に訪問した時は、
こんな感じでした・・
2本の松の木が
どうしても天守外観を
損ねていたんですね・・・
松の木には申し訳ないけど
かねがね不要だとは思っていました・・
改めて同じようなアングルで撮影。
やっぱりスッキリして、
男前になってます!
(続く)