岡崎城(令和7年1月)天守内覧1

全面リニューアル
今から2年ほど前、
大河ドラマ「どうする家康」の放映を機に、
岡崎城天守内部と、
「三河武士のやかた 家康館」は、
全面リニューアルされています。
4階の「岡崎城シアター」、
映像と一体となった体験型で、
僕たちも思い切り遊び倒しました(笑)
「三河武士のやかた 家康館」。
こちらは今回入っていませんが、
前回訪問時、見事な演出に感動し、
その後の関ケ原訪問のきっかけとなった
人や馬の人形を使った
機械仕掛けの超アナログジオラマも
プロジェクションマッピンングへと
大変身を遂げているようです。
「家康が語る 決戦!関ヶ原」
今回は家康さんが
ナレーションを務めて
いらっしゃるようですね(笑)
1階
天守内部へ。
ここからは各所の案内を
抜粋して書いていきます。
田中吉政時代、
土造りの城から
石垣の城へと変貌した岡崎城、
その遺構である野面積みの石垣に
再建された天守の中へと入ります。
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岡崎城名物「心礎(しんそ)」
「かつての天守を支えた心柱の礎石で、
心柱は天守中央の心礎の上に建てられ、
天守の最上階である3階の床下まで
貫いていたと考えられる。
望楼型の天守で礎石が現存するのは、
姫路城と岡崎城のみである。」
2階
ここは岡崎城の歴史など。
家康が生まれた岡崎城。
この一点のみで、
岡崎城は「聖地」確定かな?(笑)
「龍頭山と呼ばれたこの地に
15世紀半ば地元の武士(国人)
西郷氏が城館を築き、
やがて、勢力を伸ばした
松平氏の一族、
岡崎松平氏の本城となった。」
「松平清康の登場」
家康のお爺ちゃんである
松平七代当主の清康さん、
24年の短い生涯のうちに
岡崎城下の整備、
絶大な成果を上げていますね!
その子広忠(家康の父)も
岡崎城を確保して頑張ったけど
今川、織田に飲み込まれる形で、
家康さんは幼少から
人質生活を強いられることに・・
「家康の領国」
「桶狭間の戦い後、
今川氏から独立した家康が
名実ともに城主となる。」
このころ今川義元の家臣、
早川新六郎勝久は、
武士を辞めて、
名を久右衛門と改め味噌造りをはじめ
カクキュー八丁味噌の祖となっています。
岡崎城でも金箔瓦を
使っていた証拠(笑)
(出土品からの再現)
秀吉の臣下だった頃のものかと思いきや、
江戸時代と書かれています。
「土造りの城から石垣の城へ」
小田原征伐後、家康が関東に移封され、
岡崎城には秀吉大名の田中吉政が入り
いわゆる織豊系城郭への整備が行われ、
石垣を多用した城と変化しています。
近世岡崎城の完成。
元和三年(1617)、
三層三階地下一階の
望楼型複合連結式天守が再建され、
明治時代まで残るも解体されています。
水野時代/江戸時代中期の絵図。
3階
まずはジオラマ(城郭模型)へ。
案内。
「この城郭模型は最後の藩主を勤めた
本多家によって岡崎市に寄贈された。
版籍奉還後の明治6〜7年
(1873〜74)に取り壊される以前の
岡崎城を知る人の記憶や資料を基に
作成されたものと伝わる。」
右下は大正時代の絵葉書で、
この模型とは異なる別のものが
存在していたようです。
これは素晴らしい!
ここで目に飛び込んでくるのは、
丸馬出しです。
諏訪原城の巨大な丸馬出しを
彷彿とさせますね!
案内には、
「東馬出 不思議な形の広場」
こんな表題があり
虎口の外側にある防御施設である旨が
記されています。
丸馬出しは武田氏のものを
家康さんが学び(多分)、それを
巨大化、強化したもので、
「徳川の城」を感じさせてくれます。
ここでの注目はU字形の曲輪です。
「隠居曲輪」
「本丸の東側を守る曲輪で、
堀に囲まれ、馬蹄形の曲線を描く
外形をしていて、
戦国時代につくられた曲輪であると
考えられています。」
戦う曲輪なのに何故に隠居?(笑)
「龍図」
岡崎出身の画家の作品です。
「庶民の活気 岡崎城下」
「城下を通る
東海道二十七曲りと城下町十九か町」
岡崎城下といえば、
外せないのが二十七曲り。
ここでの案内は秀吉の大名、
田中吉政が城下町の整備をはじめ、
江戸時代初期、本田康重により
二十七曲りが完成した的な感じですが、
八幡山城下の八幡堀の整備や、
関ケ原の戦い後、9年間で柳川藩の
城下町整備を成し遂げた
田中吉政の手腕を考えると
10年いた岡崎の二十七曲りは、
完成に近いものはあったと思います。
「河川は大量の物資を運搬する
手段として利用され、
矢作(やはぎ)川に沿って荷物の
積み下ろしをする土場が多くあった。
菅生川(乙川)には、
「五万石でも岡崎様はお城下まで船が着く」
とうたわれた藩専用の
ご用土場や中世以来の土場があり、
矢作川から直接船が乗り入られた。」
この案内とともに、
田中吉政の矢作川の築堤工事により
初めて矢作川に橋が架けられた事も
記されています。
また、岡崎は交通の要所で、
幕府の賓客を接待したり、
朝鮮通信使、琉球使節団などの一行を
宿場町全体で出迎えるなど
「おもてな死」の町でもあったようです。
特産品コーナーその1「花火」
手筒花火もありますね!
花火関係の祭り。
特産品コーナーその2「八丁味噌」
城下町のジオラマ。
瓦葺、茅葺き屋根が半々くらいですね。
岡崎は石でも有名のようです。
裏町の石屋(模型)。
板屋町の常夜燈(模型)
「江戸時代中期から、
三河・遠江で「火伏せの神様」
秋葉山の信仰が広まり、
常夜燈が建立された。」
「秋葉山常夜燈は、
ほぼ全てが花崗岩製で、
岡崎の石工が彫り上げたものである。」
秋葉山常夜燈アップ。
秋葉山常夜燈は、
高知県にも多くありました。
6年前、
ガイドツアーで見た秋葉山常夜燈ですが、
秋葉神社のお膝元、
静岡の掛川城主だった
山内一豊が高知に入封していますので、
火伏せ信仰も一緒に
高知に伝わったのでしょう。
そして3階最後は、
明治維新の岡崎城の展示です。
明治に取り壊された天守と
現代に再建された天守の詳細図。
やはり観光目的なので、
「高蘭」(回縁)は必須ですね(笑)
「混迷する岡崎城」
岡崎は水害との戦いの連続・・・
堤防の決壊などの修理費がかさみ、
城郭の維持は困難を極めたようです。
維新後は旧藩主本多家の寄贈により
城址公園として整備され、
僕たち夫婦が生まれた年と同じ(笑)、
昭和34年、現在の天守が再建されて
今に至っています。
本日のマンガ(笑)
この階では面白体験も出来ます。
これは顔出しパネルの
進化版じゃ〜!(笑)
(続く)