玖島(くしま)城(長崎県大村市)(後編)大村神社

 

表題に迷う

玖島城の本丸跡には、

大村神社が鎮座しています。

本丸の事を書くと

神社の話が多くなるし、

でも元々はお城だし(笑)

表題のつけ方に迷ったあげく、

今回の表題となりました。

本丸へ

大手道を突き進み、

ついに本丸はすぐ目の前。

この石段を登ると本丸です。

本丸ですが、今は神社なので、

手水舎が待ち構えています(笑)

こういう自然石の

手水鉢に萌える僕(笑)

古いもの、本当にいいな〜!

早速、拝殿に向かい参拝。

こちらは本殿。

歴代の藩主など36柱が祀られています。

本殿の人口密度高いな〜!

いや、

神様密度か?(笑)

大村神社由来。

すぐ横には玖島城本丸跡としての

案内もあります。

本丸が藩主居宅と政庁だったことが

図面でよく分かりますね。

境内社。

境内社の前には昔の手水鉢が、

今でも現役で使われています。

なんだかカバがこっち向いているような。

抜群に印象的な手水鉢ですよ。

ツーショットも完了。

この後は境内の石碑や石像散策です。

藩祖ではなく、

中祖、大村喜前(よしあき)、

洗礼名ドン・サンチョの遺徳碑(顕彰碑)。

藩祖を喜前の父親である

大村純忠とした考えのもと

彼は藩祖の次の中祖という

位置付けなのでしょう。

こちらの案内には、四十八歳で急逝と

だけ書いてありますが、

Wikipedia先生は、

弾圧されたキリシタンに毒殺されたと

書いてありました。

やはり元はキリシタンだった

ドン・サンチョなのに

改宗した途端、手のひら返したように

キリシタン弾圧をしたのを

よほど恨みに思っていたのでしょう。

こちらは最後の藩主、

大村純熈(おおむら すみひろ)   の銅像。

戊辰戦争にも出陣し、

その倒幕の功績もあって

明治時代には伯爵となっています。

この後は境内社へ。

玖島稲荷神社入口。

鳥居の赤と緑のコントラストが

なかなか絵になりますね。

藩主の御居間跡の碑。

そして、この碑の横側にはこんな碑も。

明治初期に

この藩主の御居間跡の碑を建立したのは、

先ほど大手道で見た銅像の

少年鼓手、浜田謹吾の父でした!

戊辰戦争で子供を亡くした父の思いが、

この藩主の御居間跡の碑にも

こめられているようで、

なんだかしんみりしてしまいます…

そして、少し行くと

玖島稲荷神社由来があります。

拝殿にて参拝。

幣殿と本殿。

境内社とは思えないほど

立派なものです。

この後は、また本丸の

「お城の部分」を散策します。

土塀の内側の雁木(がんぎ)も

しっかりと昔の姿をとどめています。

いざ戦闘となれば、この雁木を使い

一度に多くの兵士が並列して登り降り出来る

あくまでも「戦いの為の石段」です。

雁木を正面から撮影。

玖島城は土塀を復元してあるので、

この雁木を上って鉄砲で

敵を狙うシーンの想像も容易ですね!

搦め手門(裏門)

外側から見た搦め手門付近。

これだけ石垣や石段が、

残っているのは、

素晴らしいことです。

やはり白壁の土塀を

復元した意味は大きいな〜

偉いぞ、大村市!

玖島城の散策を終え、

また徒歩にてJR大村駅へと向かいます。

大村駅に到着。

ここから諫早までJR.、

そこからは私鉄である島原鉄道で、

島原城のある島原駅を目指します。

今日の癒し

おみくじを結ぶところ。

神主さんと巫女さん?

このおみくじを見ただけでも

この神社が愛されていることが

よ〜くわかりますね!

 

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