玖島(くしま)城(長崎県大村市)前編

 

ドン・サンチョの慧眼

戦国末期からキリスト教禁止例まで、

数多くのキリシタン大名や、

一般のキリシタンは身の処し方で、

運命が大きく変わりました。

その中で、

肥前の大村地方を支配していた

大村氏は豊臣秀吉、徳川家康と

上手に主君を変え、なおかつ

キリシタンだったものを

為政者の意向に添って、

棄教し、上手に世を渡り、

明治維新まで続いた家柄です。

その藩祖、大村喜前(よしあき)は、

ドン・サンチョの洗礼名を持つ、

キリシタンでした。

父、大村純忠(すみただ)が

熱烈なキリシタンで、長崎の地を

イエズス会に寄進までした人で、

恐らく、子供である大村喜前も

父の影響で、

相当なキリシタンだったでしょう。

ところが、

機を見るに敏な彼は、日蓮宗に改宗し、

キリシタン取締りまで行なったのです。

これを見た徳川幕府の心証は

格段に良くなったはずです。

当時、ポルトガルなどの

キリスト教布教が、

日本の植民地化、奴隷化を

狙ったものだったことは

西欧から植民地にされた

世界中の国々の歴史を見れば

明らかでしょう。

ドン・サンチョ(笑)も偉かったが、

やはり秀吉、家康がいたからこそ

今の独立国日本があることを

改めて感謝せずにはいられませんね。

玖島城へ

大村駅から歩いて20分ほどで、

玖島城の跡に出来た大村公園があります。

櫓(やぐら)風の看板に

テンション上がります。

大村市の案内。

この地図は上が西、右が南ですから

玖島城は大村駅の

東側の海岸に位置しています。

公園の案内。

ここには立派な藤棚もあります。

池は元のお堀の一部かも知れません。

そして、ここに一つの碑がありました。

大村公園を作った、大村出身の

長岡安平(やすひら)という方のものです。

この方、本当に凄い実績ですね。

中でも僕の目についたのは、

以前出張の折、

一人で訪問した福井県の

足羽山(あすわやま)公園です。

ここは桜の名所としても有名で、

継体天皇を祀った足羽神社や、

新田義貞を祀った藤島神社もあり

僕にとって思い出深い場所です。

大手道の起点付近の本小路。

ここは玖島城大手入口門跡。

本丸跡に鎮座する

大村神社の参道になっていて、

鳥居や狛犬も迎えてくれます。

二の鳥居。

三の鳥居。

城の回りのお堀跡。

お堀の跡は花菖蒲園になっています。

春には一面菖蒲の花で、

素晴らしい景観になることでしょう。

大手口付近。

石垣がしっかり残っています。

幕末の剣客、斉藤歓之助の碑の案内。

この人の門下生たちが

戊辰の役(戊辰戦争)で活躍したそうです。

鉄砲が発達したころの

戊辰戦争でも刀(剣術)は重要な

武器だったのでしょう。

そういえば、戊辰戦争よりもかなり後、

明治10年の西南戦争でも

薩摩軍は「刀」で官軍に

相当な被害を与えていますし、

田原坂の戦いの時などは、

官軍側でも剣術に秀でた警察官を集めた

「抜刀隊」を編成して薩摩軍に

対抗し勝利のきっかけを

作っています。

もっと言えば新兵器だらけの

第二次世界大戦でも

相変わらず日本軍は刀を持って

敵陣地に斬り込み、

近代兵器の前に全滅した例もあるので、

刀と日本人の関係は、

切っても切れない(笑)

ご縁なのかも知れません。

穴門。

石垣に作られた門ですが、

なんかカッコいいですね。

道案内も御触書のようです(笑)

南堀跡。

花菖蒲園となった南堀から

復元された板敷(いたじき)櫓を臨む。

板敷という地名に建てられたので

この名前が付いたそうです。

1614年の大改修時にこの櫓や、

石垣は作られたそうです。

ここで記念のツーショット(笑)

次に海岸に面したお城ならではの

施設跡へと向かいます。

新蔵波止。

読み方はわかりません(汗)

案内には、

「幕府が官米三千石を

筑前から運んで預けた時、

二棟の新蔵を建て、

この波止を築いた。

以降も藩船の発着などに利用した。」

このように書かれています。

今でも日本の波止場には、

倉庫がある景色をよく見かけますが、

江戸時代も同じだったのですね。

先端部分。

先端部分から陸地側を撮影。

ここからは

板敷櫓も見えています。

残された石積みが、江戸の香りを

運んでくれます…

いや、磯の香りだったかな?(笑)

次にこの近くにある登場口から

本丸を目指します。

本丸の周囲は森が広がっていて、

ここは県指定天然記念物となっています。

空堀があったので、降りてみました。

樹木が堀の中心に向かって生えていて、

お城好きにはたまらない

「堀の底気分」を堪能できます(笑)

ここから少し行くと、

先ほど外から眺めた板敷櫓が

見えてきます。

眺望が良いと書かれていますので、

ここから海からの侵入者を

見張っていたのかも知れません。

復元された櫓。

そしてここから大手道に入り、

本丸を目指します。

入り組んだ構造は、

戦いを意識しています。

ここに突入した時点で、

四方向から鉄砲の射撃を

浴びることになります。

まず、全滅でしょう(汗)

途中には大村神社の鳥居が。

大手最後の枡形虎口。

ここに突入する前に、

この手前にある像が気になったので、

撮影してみました。

「少年鼓手 浜田謹吾」

案内によると

戊辰戦争の時、

秋田救援の為、大村から350人が

派遣され、その秋田県角館に於いて、

この15歳の勇敢な鼓手は先頭に立ち

太鼓でみんなの志気を鼓舞したものの

遂に戦死しました。

これはその顕彰の銅像です。

そして、この銅像と同じものが、

戦死した場所近くの、

角館の神明社境内にあるそうです。

(画像を検索したらありました!)

秋田県の角館、行ってみたいな〜(笑)

四方から鉄砲を撃ち込まれる

妄想をしながら

僕たちはここまでたどり着きました(笑)

ここを曲がるとそこは本丸です。

戦うためのお城とはいえ、

今では七五三の案内がのどかな

心が和むお城となっています。

(後編へつづく)

 

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