鳴無神社(2019年高知の旅)
奈良から高知へ
鳴無神社(おとなしじんじゃ)で
いただいたパンフレットには、
御祭神は、
一言主神(ひとことぬしのかみ)、
またの名を味鉏高彦根命
(あじすきたかひこねのかみ)といい、
この神様が大和(奈良)から
土佐(高知)の太平洋岸に
船でやって来られ、
人々がその神様と御船を担いで
山を越え着いた場所が
今の鳴無神社の鎮座地と
書かれていました。
大昔の船旅は、
さぞかし難儀だったことでしょう。
そして、
はるばる大和(奈良)から
無事に神様がここへ来られたお陰で、
僕たちもこんな素晴らしい神社に
参拝出来たという訳です。
鳴無神社へ
太平洋に面した野見湾近くの
大谷の樟に感動した後は、
そこから10分ほどの場所、
内海の浦ノ湾沿いに鎮座する
鳴無神社へと向かいます。
ここが海なのかな?
そう思うくらいに波もなく静かで
まるで湖と間違うほどの穏やかな
浦ノ湾は、ただ眺めているだけで、
心が癒やされます。
神社への分岐点。
このすぐ傍には「浮橋」という
海上レストランがあります。
後で宮司さんの奥様から聞いた話では、
昔はこんな海上レストランが
4軒あったそうですが、
今ではここ一軒となり
大変貴重な存在とのことでした。
ちなみに店内へはこちらから
橋を渡って入るだけでなく
この反対側の桟橋に船を付けて
店に入ってくる
漁師さんたちもいるそうです。
カッコいい~!
お店に船を乗り付けるなんて。
少し行くと赤い鳥居が見えてきました。
後でこの大きな鳥居の
建立秘話(笑)を宮司さんの奥様から
教えて貰ったので、ここで書きます。
神社上のスカイラインに展望所が出来た時、
そこから神社の存在が分かりやすいように
この赤い鳥居を建てたそうです。
しかし今、
展望台前には木が生い茂り
この鳥居は見られなくなっている
とのことでした。
神社参拝後、僕たちも展望所から
鳴無神社方面を見てみましたが、
そのお言葉通り、木が生い茂って、
赤い鳥居は視認不可能でした(汗)
神様でも思い通りには
ならない事もある・・のかな?(笑)
御社殿は、二代藩主の山内忠義公が、
寛文二年(1663年)に
再建したもので、国指定重要文化財です。
先に進むと防波堤の一部だけが
水門になっています。
お~!!
この神社の為だけに
防波堤を開けているんですね!
以前は、ここへ来る道は無く、
船のみでの参拝だったそうです。
雁木(がんぎ)ですよ!
潮の満ち引きに関係なく
船が付けられる優れものです。
僕たちがこの景色に見惚れて佇んでいると
こののどかな湖面・・・いや海面が
少し賑やかになりました。
カヌーだっ!
間違って湖面と書いてしまうほどの
穏やかな海なので、
カヌーにはもって来いなんでしょう。
昔の人と同じように
海(雁木)から御社殿に向かいます。
真ん中の石畳は、
江戸時代くらいのものかも?
逆光になるので、撮影は大変ですが、
正面から朝日を全身に浴びならが
参道を歩くだけで、
パワーアップ出来た感じがします。
境内入口。
手水舎。
大正生まれの狛犬は迫力満点。
吽形。
拝殿左側から。
拝殿右側から。
参拝正面。
拝殿から幣殿、本殿までは
吹き抜けとなっているので、
ここからでも極彩色の本殿を
拝むことが出来ます。
山内家の家紋、
「丸に三つ細柏」。
何とカッコいいんでしょう!
そして黄金に輝く立体的な形、
この家紋を作った職人さん、
グッジョブ!
幣殿から本殿へ。
本殿。
千木が屋根の両端に加えて、
真ん中にも建てられているのは、
少し珍しい構造です。
本殿左側から。
背後では、さりげなく放水銃が
本殿を見守っていますね(笑)
前を守る狛犬と合わせ、
鉄壁の護衛です。
そして、僕たちが参拝していたら、
ちょうど宮司さんの奥様が来られ、
社務所が開いたので、御朱印を
いただきました。
宮司さんの書き置きの御朱印。
そして、来たときから気になっていた
社務所前のおみくじには、
「おみくじは神社前の海に流してください」
と書かれています。
「このおみくじは、
海藻で出来た紙なので、
海に流せば海に還るんです」
そう奥様がお話ししてくれました。
何だか、素敵な話じゃないですか!
ならば、やるしかありません(笑)
おみくじの結び方も
なんか、素敵!
僕は「半吉」
「今を底とし幸せが与えられる」
・・・有り難い!後は上昇するのみ(笑)
妻は「末吉」
「神仏を信じ心を正せばやがて
幸せは来る」
ふたりとも将来はバラ色って事ですか(笑)
おみくじを海へ・・・
この後、海藻はまた海に戻りました・・・
海藻を海に還したところでツーショット。
竈荒神社
鳴無神社の駐車場の端に鎮座。
浦ノ内湾に向かって建っています。
素朴な木の鳥居、
なかなか重厚感で、
温かみが伝わりますね。
今日の発見
境内の石碑には、
鳴無神社の神事であり
神輿を船に乗せて舟遊びをする
志那禰(しなね)祭にまつわる
和歌が刻んであります。
「土佐の海に船浮かべて遊ぶらし
都の空は雪解のどけき」
これは平安時代(鎌倉初期)の歌人、
藤原家隆がこの神社の
船遊びを思いながら作った歌です。
そして、Wikipediaで調べると
この藤原家隆という方は、
小倉百人一首の中にも
選ばれてる凄い人でした。
その歌とは、
「風そよぐ ならの小川の 夕暮は
みそぎぞ夏の しるしなりける」
・・・高校の時必死で覚えたはずですが、
全く記憶に無いですね(汗)