来迎寺(佐賀市)島義勇の墓

佐賀人が作った札幌の町
北海道、札幌の美しい
碁盤の目のような町並は、
佐賀県人が構想した事は、
ほぼ知られていないようです。
教科書にも出てなかったし(多分)。
もちろん僕も全く知りませんでした・・
ところが、
偶然にも還暦間近になって(笑)
その事実を知ったのです。
こちらは、
佐賀城本丸歴史館で見た寸劇で、
右側の佐賀藩士「島義勇」が、
札幌の町を作った人なのです。
(役者さんの顔出許可済み)
寸劇は8年前のことですが、
以来、僕たちは島義勇の足跡を
事あるごとに訪問してきました。
以下は、
その「追っかけの歴史」(笑)です。
佐賀市、松原神社での紹介パネル。
過去みた紹介の中でも秀逸なもので、
北海道開拓使長官が、
佐賀藩主の鍋島直正で、
開拓判官が島義勇と
二人が佐賀人だった事がよく分かります。
肥前さが幕末維新博覧会での
右端が島義勇です。
2018年に建立された、
佐賀城の南堀から続く、
西の堀に面したところに建つ島義勇銅像。
視線の先には佐賀城の鍋島直正像、
そして遥か彼方には、
北海道、札幌があります・・
六花亭神宮茶屋店で食べた「判官さま」。
(つぶれていますが・・汗)
「判官さま」とは、
開拓判官の島義勇のことで、
その名前が付いた蕎麦粉のお餅です。
包みには
「佐賀県出身の島義勇は
今年没後150年を迎えました」
このように書かれて、
佐賀県を強調してくれている事に、
感動したものです。
佐賀出身でもない僕たちですが(笑)
島義勇の従者だった福玉仙吉により
佐賀の乱(佐嘉戦争)で斬首された
島義勇の一周忌に冥福を祈念して、
献木された桜並木。
北海道神宮の参道で咲いています。
北海道神宮・島義勇判官銅像。
札幌市役所・島義勇像。
北海道開拓に尽くした人々を祀る開拓神社。
鍋島直正・島義勇も祀られています。
書けばキリがないくらいになりますが、
とにかく「寸劇」から
僕たちの人生は変わったのです(笑)
来迎寺・本堂
島義勇ゆかりの地、
その集大成とも言うべき
島義勇のお墓にお参りする日が
遂に来ました。
エントランス。
案内板。
山門。
ここをくぐるとすぐ右手に
お墓の説明板があります。
「島義勇の墓」
書き出すと以下になります。
「島義勇、1822(文政五年)〜
1874(明治七年)は、
佐賀藩校弘道館より江戸に遊学、
和漢の学を修め、1858(安政三年)
藩命により蝦夷・樺太を探検した。
戊辰の役には総督府軍監として参加、
さらに蝦夷開拓長官
鍋島直正のもとで開拓判官として
新政府に出仕し、
札幌市街の建設を行なった。
同市は銅像を市庁舎に建てて
その功績を讃えている。
その後大少監、秋田県令を歴任したが、
征韓論が沸騰すると
郷里佐賀に帰って憂国党党首となり、
江藤新平らと佐賀の役を起こし
敗れて処刑された。
のちに罪を除かれ1916
(大正五年)従四位を追贈された。
昭和四十八年十月」
この案内、
なんと52年前のものですよ!
なのに全く陳腐化していないのは、
ステンレス製である事と、
山門や草木の陰となり、
日焼けしなかったのが、
大きな要因でしょう。
案内文よりも
この耐久性に僕も妻も
感動してしまいました(笑)
古い仏様にご挨拶。
こちらも古い六地蔵です。
参拝。
本堂内では何やら法要があっていますね・・
参拝。
島義勇の墓
僕は最初お墓がどこなのか分からず、
全く違う方向へ歩いていたのですが、
妻から「こっちの気がする」と
本堂横を指差すので行ってみると・・
ありました!
妻のお墓アンテナの威力は絶大です(笑)
島家のお墓は本堂のすぐ左。
義勇さんのお墓、
ちゃんと案内されていますね。
まずは正面の「島家之墓」に参拝。
そして、島義勇さんへ。
参拝。
義勇さん、
あなたが精魂込めて作った札幌、
行ってきましたよ・・
本当にありがとう・・・
安らかにお眠りください・・・
墓に対面して建つ案内。
内容は先ほどと似てますので
割愛します。
お墓の外へ出てまた一礼。
最後に本堂前でツーショット。
島義勇聖地地巡り(笑)
これにてひとまず
コンプリートです!
今日の感動
僕たちが駐車場の車に戻った時、
妻が雄叫びを(笑)
「あれ、10月10日だ!」
お〜これは!
妻のおばあちゃんの命日、
10月10日と同じナンバーですよ!
ここにおばあちゃんも
来ていたのかな・・