大宰府跡(福岡県太宰府市)
職住接近
大伴旅人邸跡と推定される
坂本八幡宮は、
大宰府政庁正殿の真裏に位置します。
後から訪問した、
大宰府展示館で撮ったジオラマ。
こちらに、
坂本八幡宮(旅人邸)の位置も
黄色枠で付け足してみました。
赤色の線が旅人さんの通勤コースで、
今回僕たちが歩いてみた道ですが、
政庁の裏側までは徒歩3分。
旅人さんは、大宰師という
ここで一番偉い人なので、
職住接近の
特等地を与えられていたのでしょう。
坂本八幡宮~政庁跡
旅人さんの通勤コースを辿る前、
ちょっとだけ寄り道を・・・。
なんかのオブジェ・・・。
「梅花の宴」と名付けられています。
令和との関連で、
作られたのでしょう・・・
オブジェの意味考えた末、
ここに来た人は梅花の宴に
自由参加出来ると解釈し、
人形の鏡に妻を入れて撮影。
梅花の宴ですが、背景は桜です(笑)
その後、旅人さんの勤務先、政庁へ。
石碑。
案内があるので抜粋すると、
「梅花の歌
正月(むつき)立ち 春の来たらば
かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ
大弐紀卿(だいに きのきゃう)
(中略)
万葉集巻五 八一五
大意
正月になり春がきたなら、
このように梅を招いて楽しい日を過ごそう。
万葉集の中で
もっとも華やかな「梅花の宴」が
天平二年(730)正月十三日、
太宰師大伴旅人邸で盛大に催された。
九州管内諸国の官人
三十二名は中国渡来の
梅を題材に歌を詠んで、
春の一日を楽しんだ。
この歌は宴の開始にあたり、
主賓大弐紀卿のあいさつとして、
梅を客人のように見立てて
歓迎したお祝いの歌とされている。」
このようになります。
ここからは既に政庁が
目の前に見えていますね!
途中振り返って政庁側から
大伴旅人さんのお家方面
(坂本八幡宮方面)を撮影。
あっという間に勤務地到着(笑)
正殿はすぐ目の前です。
正殿跡。
僕たちは今、旅人さんもと
同じ空気を吸っています(笑)
満開の桜並木へ。
「桜花の宴」を
催している方もちらほら・・・
桜の上を飛ぶ飛行機。
この後、
大宰府政庁の正面へ。
案内。
古都大宰府保存への道。
一部を抜粋・要約すると
「大宰府跡の保存は、
江戸時代に福岡藩(黒田家)が
行った建物礎石の調査に始まり、
明治・大正・昭和と簡単な保存整備が
正殿跡を中心に行われてきました。
昭和30年代、大規模な
宅地開発の計画が持ちあがったものの
文化財保護指定地域の拡張がなされ、
その後、発掘調査、保存整備が
進められてきた。」
このようになります。
50年前、ここは田畑に
なっていたんですね・・・
大宰府政庁南門跡の案内。
南門跡からみた大宰府政庁全景。
背後の山全体には、
巨大な朝鮮式山城、
大野城が築造され、
白村江の戦い以降、
大宰府防衛は万全の構えだったのが、
良く分かります!