坂本八幡宮(福岡県太宰府市)

 

「令和」誕生の地

坂本八幡宮は「令和」の

典拠となった歌が詠まれた

大伴旅人の邸宅跡として、

全国的に知られる神社となりました。

僕たちは、同じ県内でもあるので、

「いつでも行ける」と

のんびりしていたら

いつの間にやら令和も4年(汗)

時が経つのは早いもの・・・

という訳で、

今回の乗り放題切符、

FUKUOKA 1DAY PASS

の旅では、

朝一番に参拝することとなりました。

境内にて

神社に着くと、

多くの氏子さんたちが、

境内の清掃をされていて、

僕たちが来るのを見越して(笑)

そんなことまでしてくださり、

感謝しかありません。

坂本八幡宮、

想像以上にコンパクトで、

境内全体が一枚におさまります。

注連縄柱をくぐり

まずは、導きの神様、

猿田彦大神にご挨拶。

鳥居もコンパクト。

坂本八幡宮縁起。

案内を抜粋すると

「御祭神は応神天皇。

平安時代にはこの坂本の地に

四王寺の座主坊としての善正寺が

成立していたとされます。

この寺は中世は天台宗の寺院で、

本山の比叡山に習い

九州の天台寺院には

境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。

当社の勧請時期は、

「天文・弘治の頃」

(1532~1557)とされ、

恐らくこの頃寺院が廃れ、

寺の境内にあった社が

再興されたものと考えられます。

境内入口にある

「がらんさま」と呼ばれる立石は

天台寺院の故地によく見られ、

寺の中心地や結界となる堺に

置かれる事があるようです。

古代には、大宰府や九州を

守護する寺であった四王寺が

形を変えながら、

現在では坂本区の鎮守として

生き続けています。」

このようになり、

ちょっと読んだだけでも

気になるフレーズが目に止まります。

「境内に八幡宮を祭る形」という部分、

確かに、

天台宗、延暦寺の鎮護社である

日吉大社には立派な

宇佐宮がありますね。

また、

比叡山延暦寺が建つ場所も

滋賀県大津市の「坂本」ですが、

これって単なる偶然でしょうか?

気になるな~(笑)

拝殿へ。

石庭風の手水鉢。

拝殿前には狛犬ではなく、

石造りの花瓶が配置され、

真新しい榊が生けられています。

そして、ここからは令和尽くし・・・

「令和坂本八幡宮」の竹細工。

令和元年五月奉納の神社幕。

拝殿に貼られた

新元号「令和」の案内。

持ち帰り用もスタンバイ。

拝殿内。

奥には石造りの本殿前面が見えています。

本殿の後側は外に出ていて、

大正十一年十一月改築の

文字が確認出来ます。

奉納者の名前が刻まれた後側。

ここに書かれた方たちの多くは、

既に鬼籍に入られていると思いますが、

「令和」発祥の地として脚光を浴びる

現在の坂本八幡宮を見て、

きっと大いに喜ばれている事でしょう・・

「御自由にお使い下さい」と書かれ

拝殿前に置かれた「令和」の額。

この時、氏子さんの一人が、

「これ持ってください、

お二人の写真撮りますから!」

そう声をかけてくれたのです。

菅官房長官の姿を思い出し(笑)、

二人して「令和」と共にスリーショット。

氏子さん、

本当にありがとうございました!

石碑など

次に境内に建ついくつかの石碑へ。

「令和」の石碑。

有名になった歌が刻まれています。

「初春の月にして

気淑く風

梅は鏡前の粉を被き

蘭は珮後の香を薫らす。」

令と和を太文字にしてみました(笑)

裏側には案内があり、

「元号「令和」の碑」

「万葉集巻五 梅花の歌三十二并せて序

初春の令月(よきつき)であり気は麗しく

風は和(やわ)らかに

梅は鏡の前の白粉(おしろい)のように開き

蘭は匂い袋の香の様に薫(かお)っている。

(大意)

この碑文の書は

天皇陛下即位に伴い改元された

新元号発表時に

菅官房長官が掲げていた

「令和」の揮毫者である

内閣府辞令専門職

茂住修身(雅号菁邨)氏によるものです。

梅花の宴が行われた大伴旅人邸址と伝わる

坂本八幡宮へ平成三十一年四月

ご参拝の折に奉納いただきました。」

このように書かれています。

大意を読めば読むほど、

令和という元号が素晴らしく思え、

愛着あるものになって来ます!

大伴旅人の歌碑。

案内板の古さから推定して、

坂本八幡宮が、

令和で有名になる以前のものでしょう。

抜粋して書き出してみます。

「わが岡に さ男鹿来鳴く

初萩の 花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿

太宰師 大伴旅人

(中略)

万葉集巻八 一五四一」

「大意

私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。

今年初めての萩の花が咲き、

牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ。」

この辺りは、

大宰府師大伴旅人の邸跡と伝えられている。

旅人邸は、「万葉集の華」ともいうべき

梅花の宴が開かれた場所として

よく知られているが、

赴任後間もなく妻を亡くした

旅人の暮らしは心淋しいものであった。

萩の花が咲き初める初秋、

牡鹿が牝鹿を求めて鳴く

求婚の甲高い声にも、

妻を想う自分の心を

重ねずにはおれないのであった。」

このようになります。

この妻を想う歌を見て

思い出したのが、

3年前に行った鞆の浦で、

福禅寺対潮楼の石垣下にあった

「むろの木歌碑」です。

大伴旅人が大宰府師の任期を終え、

都に戻る途中に詠んだ歌が刻まれたもので、

こちらも亡き妻への

追慕と愛情に溢れる歌です。

令和の典拠となった梅花の宴、

その宴の最中でさえ

旅人は亡き妻の面影を

追っていたのかも知れません・・・

こちらは・・何でしょう?

縁起に書かれていた「がらんさま」。

天台宗の寺院(跡)に

見られるものだそうですが、

「がらんさま」を漢字にすると「伽藍様」、

やはりお寺関係だと感じますね。

坂本八幡宮、

体験すればするほど

奥が深い神社でした。

 

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