輪王寺・空烟地蔵 (日光市)
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雨のお陰・・・
徳川家光の側近として、
幕府を支えた阿部豊後守忠秋。
この人の名前を知ったのは、
埼玉県熊谷市の高城神社です。
神社の由緒には、
忍城主の阿部豊後守忠秋が、
寛文十一年(1671年)
現在の本殿などを再建したと書かれ、
お墓は家光さんと同じ
輪王寺・大猷院にあると
案内されていたのです。
その日、雨が降ったことで、
杉山城へ行く予定を変更して
参拝した高城神社なのですが、
そのご縁があったからこそ
大猷院に阿部家が寄進した
空烟地蔵を参拝できたのでしょう。
空烟地蔵へ
大猷院境内を出て、
法華堂を左に折れると、
滝尾神社への参道があります。
ネット情報では「空烟地蔵は、
滝尾神社へ行く道沿いにある」
ということで、
その通りに歩いてみました。
ん?左側の先にに何か見えてますね!
確かにここは「道沿い」です(笑)
「空烟地蔵 」
案内は以下になります。
「この地には、日光山を開山された
奈良時代の修行僧「勝道上人」
(735ー817)が、
男体山に登ろうとして
道を探していたときに
地蔵菩薩が現れ導いたという
言い伝えがあります。
その800年後、
延宝年間(1675年頃)に
三代将軍徳川家光公
(1604ー1651)の忠臣、
阿部豊後守忠秋
(1602−1675)の墓を
大猷院境内に造った際、
上人の言い伝えを聞いた阿部家が、
石造りの地蔵菩薩と灯籠を寄進しました。
忠秋の墓は、尊像と背中合わせの
大猷院境内にありますが、
忠秋が「空烟」と号したことから、
この地蔵尊を空烟地蔵と
呼ぶようになったものです。
なお、石灯籠に刻まれた
「丸に重ね違い鷹の羽」は
阿部家の家紋です。」
この裏側、立入禁止の
龍光院付近にお墓があるので、
こでお参りできるのは、
実にありがたいことです。
阿部家寄進の灯籠。
優しいお顔のお地蔵様に参拝。