津島屋本家「総督」酒蔵跡(宇佐市)
遺すことの意義
他国から理不尽な侵略を受けた時、
「うちは平和主義なんで、
戦わないですからね~!」
そう言って何もせず、
侵略者の奴隷になるなんて、
出来ませんよね。
主権を失い、それに伴って、
侵略者に生殺与奪の権利を与え、
人権も、言葉も、財産も、
そして人生そのものを
全部失うのですから戦争よりも
はるかに悲惨でしょう・・・
「平和」と言葉で言うのは簡単、
でも「平和を乱されない」事は、
今の世界、簡単とは言えません。
だからこそ、
宇佐市のように
戦争遺跡をしっかりと整備して、
多くの人が見られる形に遺しているのは、
大変意義があるし、
大切な事だと思います。
戦争を未然に防ぎ、
今の平和を貫くには、
みんながどう考え、
どんな行動をすれば良いか・・・
真剣に考えられる機会なんですから。
空襲の跡
津島屋本家「総督」酒蔵跡は、
空襲の跡です。
駐車場には、
立派な石碑が建てられています。
戦禍を生き残った柿の木
酒蔵跡の手前に
ポツンと一本の木が生えています。
案内があるので、
まずは柿の木へ。
「戦禍を生き残った柿の木」
案内を要約すると
以下になります。
「この木は、
空襲の戦禍を生き残ったとされています。
樹木医の調査で、
幹の高い部分にも炭化が確認されており、
空襲で焼けたためではないかと
考えられています。」
柿の木全景。
近づく人が、
木の根っこを直接踏まないよう、
周囲を格子板でガードするという
徹底した保存方法に注目です。
案内板の写真と同じ位置。
確かに焼けています・・・
こちらは明らかに「炭」っぽく
見えますね・・・。
津島屋本家「総督」酒蔵跡
次に酒蔵跡へ。
全景。
案内を書き出すと
以下になります。
「「津島屋本家」は、
江戸時代中期からの
酒造蔵だった今戸家の屋号で、
この近辺に家屋や醸造場、
酒蔵などが並んでいました。
昭和20(1945)年4月21日、
アメリカ軍の爆撃機「B29」による
初空襲で爆弾が命中し、
壊滅的な被害を受けましたが、
酒蔵の柱と屋根部分のみが
奇跡的に残りました。
安全上の観点から建物は解体され、
現在の姿となっていますが、
保存されている屋根の一部には
爆弾痕など空襲の傷が残っています。
地下には高級な日本酒の
貯蔵庫が設けられていましたが、
太平洋戦争末期には
航空隊の写真材料などが
収納されていたといわれています。
また、貯蔵庫は
防空壕としても使われており、
4月21日の空襲では、
津島屋当主4名と
宇佐海軍航空隊写真班5名の計9名が
貯蔵庫内で
生き延びたことがわかっています。」
解体されたコンクリ屋根部分の展示。
屋根は厚みもあり、
かなり頑丈な建物だった事が
伺えます。
土手に登って酒蔵跡を俯瞰。
土手の向こうに流れる駅舘川。
川と酒蔵跡。
酒蔵の全景。
ベンチを見ると妻はすぐに
「ここで弁当食べたい」
なんて話をします(笑)
今日の花
酒蔵跡の一角で咲いていた赤い花。
花の名前はわかりませんが、
一輪だけが咲いています・・・
花は酒蔵跡を向いてい咲いています。
空襲でお亡くなりになった方々の魂が、
この赤い花となって、
僕たちをここに
導いてくれたのかも知れません・・・。