龍潭寺(滋賀県彦根市)
「庭」と「だるま」
龍潭寺のパンフレットには、
お寺の特徴が簡潔に書かれています。
「こころ澄む いやしの庭園美」
「庭の寺・だるま寺」
これだけでOKでしょう!
全部理解出来ました(笑)
マスコットキャラクターは、
「だるま」ですね!
方丈(客殿)
佐和山城から下山して、
再び龍潭寺境内へ。
山門の手前を右に曲がると
方丈(客殿)があります。
方丈(客殿)。
お寺の案内によれば、
「元和三年(1617)完成。
主材は静岡県井伊谷より運んだ栂なり」
と書かれています。
静岡から彦根まで木材を運ぶとは、
きっと大変だったはず!
菩提寺だけに、
井伊直孝公の「こだわり」は、
半端なかったのでしょうね。
案内板。
何とこの案内、
僕たちが訪問する3ヶ月前、
令和四年七月に建てられています。
なんかタイミングいいですね!(笑)
冒頭を書き出すと、
以下になります。
「龍潭寺は、
臨済宗妙心寺派の名刹で、
慶長五年(1600)
関ケ原の合戦の後、
井伊家の襲封により、遠州井伊谷
(現在の静岡県浜松市)に所在の
菩提寺である龍潭寺の
分寺として建てられました。」
浜松の龍潭寺にも
井伊直政のお墓は、
建てられているようですので、
いつかは参拝してみたいものです。
そして、
方丈の中へ入ると
こんな案内が・・・
初代の昊天和尚さん、
「おんな城主直虎」にも
出演していたんだ!
井伊直政に禅と武道を指導し、
しかも亡くなった時の導師まで
されているんですね。
そして、
もう一枚興味をそそる案内が。
佐和山城にあった梵鐘か~!
龍潭晩鐘。
僕の手垢がつかないように
ガードされています(笑)
だるま寺なので、
こんなものもあります。
方丈を反時計回りに一周。
まずは、庭園から。
引き戸に貼られた、
「開けて見て下さい」
「ふだらくの庭
開山 昊天和尚作」の文字。
反対の引き戸には、
「栂(つが・とが)
開山昊天和尚お手植え
樹齢四〇〇年」の貼り紙。
方丈を作る為、静岡から持って来て
木材にした栂には、
小さな苗木もあったのでしょう。
庭とお手植えの栂。
解説によると、
真ん中の高い石が「観音様の立姿」で、
周囲の砂は大海を表しているそうです。
反対側から「ふだらくの庭」を撮影。
カメラのワイド機能でも撮影。
次に参拝へ。
「安置の本尊は釈迦三尊像
井伊直興の寄進なり」と
説明があります。
ここは襖絵が有名で、
本尊が安置されているのは、
「西湖の間」と名付けられています。
案内には、
「方丈の襖絵は森川許六
(1656~1715)の作と
伝えられる。
許六は彦根藩士の子で、
俳人であるとともに
絵もよくし狩野安信に
師事したといわれる」
このように記されています。
獅子の間。
七賢人の間。
群馬群禽の間。
パンフレットに載っていた、
鶴の間を見るの忘れてます(汗)
この後は、展示物へ。
巨大なだるま。
だるまと傳大士像。
謂伊八幡宮。
案内。
井伊家の故郷、
井伊谷から勧請されています。
石田三成肖像。
「岸勝筆 天龍寺耕雲禅師讃
田中吉政後裔田中左門
龍潭寺に寄進。」
明治時代に描かれた作品の一部ですが、
ネット情報によれば、
本物は年数回
公開されているそうです。
逃走中の三成を捕縛し大功をあげた
田中吉政の子孫のお気持ちには、
龍潭寺で三成さんの菩提を
弔って貰えればとの思いが
あったのかも知れません・・・
三成肖像。
「弘前市の杉山家に伝うるもの
衣紋に三成の用いし大吉大一大万の
字あるにより伝説あるも確証なし」
三成さんの子供たちは、
関ケ原の合戦後、運良く生き残り、
息子は津軽(青森県)に逃れ、
そこで「杉山」と名乗り、
子孫は長く続いていますので、
このような肖像画もあるのでしょう。
Wikipediaによると、
三成さんの娘は津軽藩主に嫁ぎ、
二人の間に出来た息子は跡継ぎとして、
藩主にまでなっています。
人生どう転ぶか、
死ぬまで分からないもの、
だから粘りまくって生きるのが
肝要かな?(笑)
こちらは書院。
左右には違った趣の庭があります。
西側の庭。
こちらは反対側、
「書院東庭 鶴亀蓬莱庭園」。
案内によると、
「江戸時代初期に築かれた、
開山昊天和尚と
小堀遠州合作の名庭で、
彦根市指定文化財となっています。」
「この庭の趣を
井伊大老直弼公は、
「世間にすむとにごるのあともなく、
この池水のいさぎよさかな」と
讃えられました。」
このように書かれています。
政務に疲れた直弼さんが、
書院の縁側に座って、
お気に入りのドリンクでも飲みながら
ホッと一息ついている
姿が目に浮かびます。
龍潭寺のお墓に眠る、
五歳の時亡くなった
お母様の事を思い出しながら・・・
方丈を出て山門前でツーショット。
最後の発見
あまり予習をしないタイプなので、
結構「見落とし」があるのが、
僕の旅スタイル。
ですが、
見落とさなかった例が(笑)
こちらです。
参道を戻って駐車場へ。
そして、
帰りがけに発見したのが、
こちらの石碑。
「大久保忠隣公幽居之趾」
ほ~
こんなものがあったか・・・
徳川家康の天下取りに貢献し、
小田原城の城主となるも、
家康さんから改易され、
彦根2代藩主、
井伊直孝にお預けの身となった
大久保忠隣の居宅跡です。
残念な最後ではあったものの
その後、
忠隣さんの孫の代には、
再び小田原城主として復活、
幕末まで続いています。
こちらも三成さんの子孫同様、
「あきらめない心」の
大切さを教えてくれますね!
龍潭寺さん、
最後の最後まで、
教えをいただくと同時に、
ホントに楽しませてくれました!
ただ、感謝しかありません。