佐伯城(大分県佐伯市)前編
支配氏族の名前が今に残る町
お隣の臼杵市、そしてここ佐伯市は、
ともに戦国時代までの支配者の名前が
そのまま残った町で、
戦国時代末期までは、
佐伯の町は「佐伯氏」が支配していました。
もっとも地元の支配者という人達も
ずっと以前は中央の幕府から派遣された人で、
派遣先の地名に改姓したという場合が
多いので、厳密に言えば、
上古の昔からあった名前が
そのまま残っているとも言えるでしょう。
そんな佐伯氏に変わって、
佐伯に入ったのが、
毛利の人質時代に
毛利輝元に気に入られて、
「森」姓から「毛利」姓に変えた
(賜ったそうです)人物
毛利高政でした。
昔の武士が姓(名字)を変えるのは、
日常茶飯事で、膨大な例が見られますが、
「人質」なのに生殺与奪の権利を持った
当主から気に入られるほどの人物だから
佐伯藩を任せられたのかも知れません。
そして、毛利家は外様大名にも関わらず
幕府からのいいがかりも無く(あったかも)
無事、明治維新を迎えています。
佐伯城へ
鶴見半島に5時間ほどいて
そこで出会った人は、
10人にも満たなかったのに、
やはり市の中心は違いました(笑)
「さいき春まつりの」
メイン会場近くということもあり
お祭りが終わっていたにも関わらず
この活気あふれる人の波は終わりません。
観光マップを見ると、
佐伯城は小高い山の上にありますが、
港湾施設もごく近くて、
かなり利便性は良かったようです。
このマップ、かなり秀逸です。
特にお城を真正面から描いているのが、
素晴らしいですね!
三の丸櫓門
マップに描いてあったので、
ここが「内馬場通り」の突き当りなのが
すぐに分かります。
江戸時代の遺構である三の丸櫓門。
石垣もいい感じで残っています。
三の丸から撮影。
三の丸石垣。
城山山頂へ
三の丸から山登りが始まります。
この鳥瞰図も昔の佐伯が、
スッと頭に入って来て、良いですね~!
佐伯市、グッジョブ。
これもまた嬉しい案内図です。
山上の本丸までは、
この図の左から翠明の道、
登城の道、独歩の道の3つがあり
その難易度もわかります。
ここからスタート。
佐伯城の案内。
1606年に完成して、
1617年に火事により
本丸天守閣焼失となっています・・・
江戸時代は火事で多くの
天守がなくなりましたが、
ここ佐伯城も例外ではなかったのですね・・・
3つある本丸へのコースの中で、
僕たちが選んだのは「翠明の道」
さて、吉と出るか大吉と出るかは
お楽しみ(笑)
綺麗に整備されています。
なだらかな坂も多いので、
比較的僕たち高齢者向けかも(笑)
西の丸
この翠明の道を使うと
西の丸~二の丸~本丸・天守台~北の丸と
お城全てが効率良く見学出来るのが、
歩いていて分かりました。
これは、吉ではなく大吉と出たようです(笑)
石垣を発見し、
テンション上がる僕、
テンションは変わらない妻(笑)
西の丸の石垣が見えてきました。
入り口の石段。
西の丸から二の丸方面へ
石垣は伸びています。
西の丸から海側の眺め。
こちらは南側。
この写真付き案内板も
何と便利なことでしょうか!
ここまでのおもてなしがあるにも関わらず
観光客は、僕たち以外は数人です。
こんなに素晴らしく整備されたお城なのに
勿体無いものです・・・
西の丸から二の丸方向を撮影。
石垣。
二の丸
西の丸からそのまま行けば、
すぐに二の丸です。
二の丸入り口の石垣が、
これまた素晴らしい。
火事で焼失する前は、
石垣の上に土塀などがあったのでしょう。
身を乗り出して撮影。
妻は落ちないかと心配?
していました(笑)
西側の景色。
二の丸には国木田独歩の碑があります。
佐伯に滞在して、この城山を好んで
上ったという国木田独歩は佐伯市の
貴重な観光資源でもあります。
今回は「国木田独歩館」という
博物館は時間がなく、
行けませんでしたが、
建物自体も実際に独歩が滞在した家であり
150年前のもので、見応えありそうです。
二の丸の次は、本丸へと向かいます。(後編へ)
戦争遺跡
西の丸で見つけた穴。
高射砲の砲台跡だそうです。
ここにも戦争遺跡があったのか!