帆柱石(福岡市)
ネーミングセンス抜群
ひとこと、「帆柱石」と聞いて、
何とな~く
「船の帆柱みたいな円柱形をした石」を
想像する人は多いでしょう。
いつの時代のどなたが
付けたかは分かりませんが、
ネーミングセンスは抜群ですね。
帆柱石へ
名島城跡の海岸に、
帆柱石というものがあると妻に話すと、
「行ってみたい」と言うので
行ってみました(笑)
案内。
「ここから10m程奥に入った場所にある
9個の円柱状石は、
古代三紀漸新世前期
(今から約3500万年前)に
堆積した志免層群名島層の砂岩、
礫岩層中に含まれる
珪化木とよばれる樹木の化石です。
香椎宮の社伝には、3世紀ごろ、
神功皇后が三韓出兵の際に使用した
船の帆柱が化石になったものという
言い伝えがあり、
波打ち際の岩の上に並ぶその姿は、
まさに帆柱を連想させます。
また、この石は
国の天然記念物に指定されています。」
このように書かれています。
3500万年前の化石を、
神功皇后の船の帆柱に結びつける
ロマン溢れる発想にも
ネーミングと同じくらいに
素晴らしいものがありますね!
海岸は意外と綺麗(笑)
帆柱石の手前には、
建てられた時代が違う
いくつかの石碑があります。
手前はスタンダードな
「帆柱石」の石碑。
その向こうにはひと目見ただけで、
年季の入った立派な石碑があります。
「檣石碑」。
「ほばしら」を一文字で書くと「檣」。
昔はこんな漢字を当てていたようです。
その他の小さな文字は風化して
よく分かりませんが、
帆柱石の由来が刻まれているのかも
知れません。
干潮だとこのように姿を現しています。
少しアップで撮影。
江戸時代に描かれた
名嶋古城図の一番下にも
円柱状の帆柱石が描かれていますね!
何故ここだけに
こんな形で残っていたのでしょう・・・
不思議です。
やはり、神のみぞ知る・・・かな?(笑)
どアップだと
年輪までがはっきり分かります。
僕は2回目でしたが、
初めて見た妻も感動していました。
但し・・・
常に前向きな妻の事ですから、
既に忘れているかも知れません(汗)
もう二つの石
帆柱石の手前に、
もう二つ石があります。
「太平洋大海戦大勝利
潮満珠潮乾珠 山本五十六書」
このような石碑の下に、
二つの丸い石が配置されています。
潮満珠と潮乾珠の二つを使い、
海の干満を操る事により、
三韓征伐を成功させた
神功皇后の逸話と
真珠湾攻撃の成功とを
結び付けたものでしょうか・・・。