酒解神社(京都府大山崎町)
山の名前を変えた神社
酒解(さかとけ)神社の
正式名称は、
「自玉手祭来酒解神社」、
読み方は、
「たまでよりまつりきたる
さかとけじんじゃ」、といい、
舌を噛みそうなほど、
長~い名前です。
長過ぎるので、以下、
酒解神社と書きます。
この神社をWikipediaで調べると
「現在の自玉手祭来酒解神社は、
天王山の頂上近くに中世ごろよりあった
天神八王子神(牛頭天王)を祀る
「山崎天王社」であった。
天王山は元は山崎山と呼んでいたが、
当社にちなんで
天王山と呼ばれるようになった。」
このように記されています。
上から読んでも、山崎山
下から読んでも、山崎山(笑)
これも印象深かったかも知れませんが、
「天下分け目の山崎山」と言うよりも
「天下分け目の天王山」の方が、
やはり語呂が良いような・・・
聞き慣れているからでしょうかね(笑)
厳島社
酒解神社の本社手前には、
境内社(境外社)が二つあります。
厳島社。
御祭神は、
宗像三女神の三女、市杵島姫命。
三社宮
厳島社から少し行くと、
古い石段の上に、
覆屋の付いた御社殿が
三つ見えて来ます。
こちらは三社宮。
御祭神はこの三柱。
向かって右端は、天照大神。
真ん中が、月読大神。
左端が、蛭子神。
これら三社ともに
屋根は檜皮葺(杮葺?)ですが、
老朽化は否めません・・・
何とか修理して欲しいとは思いますが、
僕が御社殿を
寄附出来るわけでもないし、
ただ、祈るばかりです・・・。
三社宮の傍には陶板絵図、
「秀吉の道」の
「明智光秀の最期」があります。
「古い常識人の敗北」
という副題の一言で、
本能寺の変の本質が、
理解できる気がします。
神輿庫
酒解神社で一番見たかったのが、
鎌倉時代の建物である神輿庫です
もうすぐ神社。
建立年などは読めませんが、
仏教的なデザインを感じる
趣のある古い灯籠です。
江戸時代まで神仏習合だった
当社の名残でしょうか。
HITACHIの案内板。
神輿庫は国指定重要文化財です。
神輿庫とは直接関係ない案内ですが、
「酒解神社 神輿庫」として、
素敵なイラストが描かれていたので、
思わず注目してしまいました。
こちらが神輿庫の本物。
域内への立ち入りは出来ませんが、
フェンス越しに撮影は出来ます。
そして、僕がシャッターを切った瞬間、
いきなりビュ~っと突風が・・・
強い風を感じたのは、
天王山ではこの時だけ。
鎌倉時代の神輿庫と
中に収められた室町時代の神輿が、
僕たちを歓迎してくれたんだと
いつものように都合の良い解釈です(笑)
本殿
神輿庫の前あたりが、
本殿手前の鳥居跡です。
自然災害などでしょうか、
上部は倒壊していますが、
古い鳥居の柱の下部は、
そのまま残されています。
神社の案内。
現在の御祭神は、
大山祇神と素戔嗚命。
本殿は国の登録有形文化財ですが、
案内には建立年などは
書いてありませんので、
詳しいことは不明ですが、
お城巡りでお世話になっている
攻城団のサイトによると
「1813年(文化10年)に焼失し、
1820年(文政3年)に再興されました」
このように書かれています。
登山道が通る拝殿。
本殿向かって右側から撮影。
境内社
本殿左側に鎮座するのが、
「宮主社」。
覆屋付きで大切にされたお社です。
御祭神は、本社で祭られている
素戔嗚命がヤマタノオロチから救い、
その妻となった奇稲田姫の両親、
足名稚(あしなずち)、
手名稚(てなずち)の二柱です。
次に、
本殿右側に鎮座するのが、後見社。
こちらも覆屋付き。
御祭神は、大巳貴命。
(おおなむちのみこと)
大巳貴命とは、
大国主命(大黒様)の別名です。
酒解神社の参拝を終えると
天王山の山頂まではあと一息!