綱敷天満宮(福岡県築上町)前編

 

菅原道真公の上陸地点

綱敷天満宮の案内によると、

「延喜の昔、昌泰四年(901)

左遷された菅原道真公は、

大宰府に赴く途中、季節風に流され

この浜にたどり着かれた。

村人たちは、漁船のとも綱をくり敷いて

お休みいただき、しばらく休養されたあと

筑紫に向かわれた。

天暦九年(955)

神託があり国府の命により

社壇が造営されて、

船のとも綱を丸くくり敷いて

お迎えした古事により

「綱敷天満宮」と称えられた。」

このように書かれています。

神社名の由来も素敵ですが、

この神社の大きな魅力は、

道真公が、ここに上陸した光景を

彷彿とさせる美しい浜辺の存在です。

僕だけは、10年近く前に

この「浜辺」を体験していましたが、

今回は妻にも、その素晴らしさを

共有してもらいたく、

今回の訪問となりました。

浜辺

海岸ではなく浜辺と書いたのは、

神社のキャッチフレーズが、

「浜の宮」だから。

単純な理由ですね(笑)

浜辺前に位置する

広大な神社の駐車場。

横断歩道を渡り、

階段を上ると・・・

美しい浜辺が!

神社と海を同時に撮影。

のどかで、素晴らしい場所・・・

「ベンチに座って、海を見ながら

弁当が食べたい気分!」

と妻が言ってました(笑)

南側の風景。

今の気分を全身で表す妻(笑)

動画でも撮影。

お手水するまでもなく、

ここに立っているだけで、

身も心も清められた気がします。

参道

浜辺で癒やされた後は参道へ。

ここからスタート。

巨大な燈籠と妻。

一の鳥居。

祭りっぽい雰囲気だと思ったら、

こんな案内を見つけました。

「しいだ梅祭り」。

何でもかんでも「中止」のご時世、

お祭りを「催行する」こと自体、

素晴らしいし、

大いに意義を感じます。

二の鳥居。

上から僕達を見下ろす、

大きな狛犬。

吽形。

三の鳥居。

中野雨情の歌碑。

二首目は、綱敷天満宮を詠んでいます。

「幼き日 明けくれ 遊び育ちし地

いかで忘れよう 濱宮の恩」

築上町の案内には、

この方は地元出身で、

カナダに渡航し、戦争中は

敵国人として、

厳しい労働を課せられ、

終戦後、カナダに帰化した人だと

書かれています。

倒立の狛犬。

先程の大きい狛犬と

お顔がよく似ていますので、

石工さんは同じ方かもしれません。

吽形は「ちんちん」のポーズ。

四の鳥居。

神門へ。

神門手前の案内。

冒頭に書いた道真公が

浜にたどり着かれた事に続き、

現在の御社殿の事が書かれていますので、

抜粋してみます。

「寛永十四年(1637)

豊前国主 小笠原忠真、

豊後国主 木下延俊 両公により

現在の社殿が造営され今日に至っている。」

このように書かれています。

織田信長徳川家康の曾孫である

小笠原忠真さん、

豊臣秀吉の妻、「ねね」の

兄の子である木下延俊さん、

日本史において

超有名な親族を持つ二人が

タッグを組んで造った御社殿が、

400年間近く残っているとは、

綱敷天満宮さん、

何か見えない力を持っていますね!

神門入って右側の燈籠型案内。

小笠原家の家紋、三階菱が、

さりげなくあしらわれています。

左側の燈籠風案内。

元禄七年(1694)

貝原益軒の豊国紀行の一節、

「椎田の四丁ばかり東の浜に松原あり、

其内に綱敷天満宮の社有。

海辺佳景なり・・・。」

このような紹介があります。

確かに「海辺佳景」、

間違いありませんね!

手水舎。

手水舎横の硯井。

昔の井戸でしょうか?

優しいお顔の神牛。

御社殿

参道もようやく終点、

拝殿が見えてきました。

まだ少しですが、

梅の花も咲き始めています。

拝殿へ。

参拝。

金ピカに輝く、三階菱。

何回も書いていますが、

豊前国の神社は、三階菱だらけ(笑)

藩主の小笠原さん、

ホント、愛されていたんですね!

鈴に幣が着けられているのが、

大切にされている感があって、

ちょっといい感じです。

拝殿前の小さな神牛。

拝殿左側から撮影。

梅の木で、御社殿が隠れ気味(笑)

本殿に参拝。

繊細な彫刻。

本殿後ろから拝殿方面を撮影。

この後、

境内社などの参拝へと向かいます。

(後編に続く)

 

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