2021/02/16

島義勇銅像(佐賀県佐賀市)

 

知られざる賢人

島義勇(しまよしたけ)。

日本において、この名前を知る人は、

少数派でしょう・・・

地元、佐賀県でも

メジャーではないかも知れません。

しかし、遠く離れた北海道札幌市では、

島義勇の名を知らない人は

いないほどの英雄とされているようです。

彼が札幌でやったことは、

明治新政府の初代開拓判官として

未開の地だった北海道開拓に貢献し、

今の整然とした素晴らしい

札幌の町を基礎を固めた事です。

現在、札幌の市庁舎や、北海道神宮には、

彼の顕彰銅像まで作られ、

札幌の人々に崇敬されています。

そんな島義勇を知ったのは、

以前訪問した、

佐賀城本丸歴史館での寸劇でした。

その寸劇で知ったのは、

彼は、佐賀の乱の首謀者で、

「罪を犯し処刑された島義勇」という

ただの一面だけで、

評価を下され、佐賀では、(全国でも)

日陰の存在だったという事です。

もちろん僕も妻もその名前を

知りませんでした。

しかし、島義勇には別の一面、

「北海道開拓の父」としての彼が

あるという事でした。

一部分を見て人を評価するなんて、

大きな間違いだという事が、

身に染みてわかる人物ですね。

そんな、島義勇の銅像が、

佐賀にも昨年、遂に(笑)

建立されたというので、

今回ようやく訪問した次第です。

偶然の出会い

島義勇の銅像は佐賀城公園の

西の端あたりにありますが、

駐車場は近くにありません。

銅像を見つけたものの

車を止められず、そのまま

行き過ぎてUターンしようとした

その前が、たまたま、こんなところでした。

佐賀県社会福祉会館。

なんてことない役所かと

思いきや、そうでは無かったのです。

何と、ここは副島種臣

生誕の地ではないですか!

それにしても立派な顕彰碑ですね!

副島種臣の業績。

兄の枝吉神陽も同じく

ここで生誕しています。

生誕地の前は佐賀城の南堀。

副島種臣生誕の地は、

なんだか、島義勇が、

「ここも見ていきなさい」

とでも言ってくれたかのようでした。

島義勇銅像へ

引き返して、

ようやく島義勇銅像へ。

最寄りの交差点の名前は、

「島義勇銅像前」。

分かりやすくていい名前です。

そして、佐賀城の南堀から続く、

西の堀に面したところに

島義勇銅像はあります。

いきなり背後から撮影(笑)

前から。

反対からも。

ここには、島義勇の生涯と

蝦夷地、樺太の探検の

足跡が地図の上に時系列に

明記されています。

まだ鉄道もなかった時代、

佐賀から樺太なんて、

気が遠くなりますね。

しかし、この秀逸な案内板のお蔭で、

島義勇の凄さが、

また一つ追加された感じです。

銅像の台座に埋め込まれた銘板。

こちらは銅像建立にあたって、

寄付した方々や、

会社の名前が刻まれています。

その中で、妻が教えてくれたのが、

鍋島正直公銅像再建委員会の次に、

「北海道神宮」

ひとつ挟んで、

北海道の代表的なお菓子メーカー

「六花亭」の名前があることです。

北海道神宮には、

先程も書きましたように

島義勇の銅像があり、

また毎年4月13日の島義勇の命日には、

島判官慰霊祭も行われていますし、

「六花亭」では、「判官さま」という

北海道神宮内のお店限定で、

あんこ入り餅を販売していますので、

やはりこの銅像の建立にも

深く関わって来られたのでしょう。

そんな事を考えつつ、

また銅像の周りを歩いてみます。

後ろ姿にもスキが無い。

表情に何か強い意志を感じますね!

体が向いている先は、北側、

きっと北海道を懐かしみ、

そして、ここ九州は佐賀から

北海道を見守っているに違いありません。

 

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