2018/06/25
島根県立古代出雲歴史博物館(島根県出雲市)中編
荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡
この日、雨が降らなかったら、
こんな名前に注目することは
一生?無かったかも知れません(笑)
荒神谷(こうじんだに)遺跡と
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡。
この二つの隣接する
弥生時代の遺跡から発掘された
銅剣や銅鐸などがこの博物館には
全て収蔵されています。
こんな凄いものとの出会えただけでなく、
島根県立古代出雲博物館を
「体験」したことで、
膨大なインプットをしてしまい、
その入って来た知識から関連した
場所、物、事を見たい、体験したい、
という欲望(笑)に繋がり、
今度は、あそこも行きたい、
ここも行きたいと
まるで、
子供が美味しいお菓子を知って、
あれも買って、これも買ってなどと
止められなくなるような(笑)
そんな「行きたい」の洪水に
今はもう流されっぱなしで、
お金がいくらあっても足りません、
いやお金は無いので、
我慢するしかありません(笑)
かねのなる木
お金の話しが出たところで、
「かねのなる木」を
見学したことを書くという、
タイミングが良いのか?
悪いのか?(笑)
かね=本当の幸せ
だそうです。
確かに金があれば幸せになれる…
いやそんな意味ではありません!
家族を大切にし、人を愛する正直な者が
幸せになれるという事で、
ここからは江戸時代の戒め的な絵図が
何枚か続きます。
左、不幸、右が幸せの木。
枝は全て戒めの言葉で出来ています。
こちらは、幸せの言葉が沢山。
金の生る木、金のおちこぼれる木。
これを読んでいると、
僕は脂汗が出て来たので、
次に進みます(笑)
妻がX JAPANのファン
という訳ではありませんが、
やはりここではこのポーズしか
ないでしょう!
出雲大社本殿の
千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)。
実際にはこんなに大きいのです。
×に交差しているのが千木、
その交差している向こうにあるのが、
鰹木。
1881年〜1953年まで、
70年ほどの間、
使われていたものとの案内があります。
そして、これは凄い迫力!
鰹木がまさに泳いでいる
「かつお」に見えます(笑)
この迫力を堪能したあとは、
物静かなゾーンへ。
こんなパネルがあちこちに。
ここからは風土記の時代。
出雲国風土記写本。
へ〜そうだったのか〜!
風土記がほぼ完全な形で残っているのは、
日本全国60余りの風土記の中で、
ここ出雲国風土記のみだそうです。
1/60の確率?
当時の暮らしを再現。
ジオラマ。
江戸時代と変わらない?道具類。
楽器。
こちらもジオラマ。
小さいけれども、
意外とカッコいい漁船。
そして、ここからがクライマックス!
荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡出土品
このコーナーの入口には
こんな案内があります。
「本物のみが持つ迫力を
ぜひ、お楽しみください」
このフレーズに、
かつて大和朝廷と対等に
渡り合った(であろう)出雲の
誇りを感じたのは、
僕の考え過ぎでしょうか(笑)
そして、中へ…
す、凄い!
上の段には、製作された当初の
黄金に光っていた銅剣を復元し、
下の段には、出土した国宝の銅剣が
ズラリと並べてあります。
それにしても、発掘当時、
日本中の津々浦々から出土していた
銅剣の総数約300本を
遥かに超える358本が
荒神谷遺跡一カ所から出土しているとは、
驚くほかありませんね!
案内版。
この展示方法は、
ホント素晴らしいものです。
こちらは銅矛。
銅鐸も6つ見つかっています。
次に、加茂岩倉遺跡の銅鐸群。
出土した数は、
荒神谷遺跡の銅剣と同じく、
こちらも日本一の39個。
サンキュー!銅鐸(笑)
やはり本物は違いますね!
な〜んて、
僕の見識では、
レプリカを見せられても
見分けは付かないかも(笑)
このコーナー最後は、
出雲の豪族の勢力図と装飾付太刀について。
西と東では、装飾付太刀の
デザインが違い、それぞれが
別の大和朝廷の権威と
結びついていた事を物語っていると
書かれています。
少しネットで調べたら、西は物部氏、
東は蘇我氏と結んでいたそうで、
物部氏が没落後、
西が東に飲み込まれる形で、
統一されていったようです。
しかし、中大兄皇子に
蘇我入鹿が殺され、
蘇我氏が滅亡したあとは、
どうなったのやら…
豪族の偉い人。
ここまで見て、
既に2時間が経過、
いつになったら
この博物館の魔力から
解き放たれるのやら?
今日のなるほど!
銅鐸って、
ごはんが出来たよ〜!って
知らせる為のチャイムだった説(笑)
ご飯は冗談ですが、
こんな使い方もあったのですね。