称念寺(福井県坂井市)新田義貞の墓

 

重要人物

称念寺には、

新田義貞の墓所があります。

また、

食えない時代の明智光秀が

身を寄せたお寺で、

元禄年間、

松尾芭蕉が明智光秀の妻を詠んだ

句碑も建立されています。

荒っぽい言い方かも知れませんが、

新田さんと明智さんの共通点は、

正義感、人情があり過ぎて滅んだ人。

そして、歴史を紡ぐには、

なくてはならない重要人物です。

新田義貞について

まずは先輩に敬意を表し、

新田さんをフューチャーします。

称念寺のパンフレット。

こちら側は、

光秀さんのフューチャーですね。

反対面には、新田さんが、

大々的に紹介されています。

案内を書き出すと、

「新田義貞公は正安4年(1333)に

鎌倉幕府を滅ぼした

その後、足利と新田の戦いは

南北朝の戦と発展し、

義貞は暦応元年(1338)7月2日

灯明寺畷(現:福井市)の戦いで戦死した。

その遺骸は時宗の僧によって、

孫念寺に運ばれ懇ろに葬られた。

新田義貞公は源氏嫡流の名家で、

南朝方の至誠の武将として讃えられ、

称念寺は時の将軍より寄進を受けて

壮大な称念寺領の荘園をもち、

天皇の祈願所にもなった、

近世には徳川家康や福井藩主、

明治天皇から手厚く保護を受けていた。」

このようになります。

称念寺へ

石川県の小松空港から

安宅住吉神社安宅の関を散策後、

一般道と高速を使って、

福井県の北部に位置する

坂井市の称念寺へ。

小松市近くの道から見えるのは、

白山連峰の壮大な景色。

走ること40分ほどで、

称念寺駐車場に到着。

山門

駐車場からすぐの所に

山門はあったのですが、

僕たちは気づかず、

反対側に行ってしまい、

結局お寺を一周することに。

だからこそ

見えた景色もあありますので、

これも正解でしょう(笑)

この細身の案内板、

なんと瓦葺きですよ!

さすが新田義貞公、

大切にされている感、

ハンパなし!

案内。

細川ガラシャもここで生まれています。

こちらは古い石碑でしょう。

「南方從是四丁」

現代語訳すると

「南に400m行った所」

みたいな感じかな?

山門前に到着。

亀甲積みの石垣で、

築地塀の配色も暖かく、

なんだか、スマートで、

洗練された雰囲気ですね!

やはりここは新田さんのお寺、

御影石の標柱も建っています。

山門。

そして山門の裏側(境内側)には、

こんなチラシが置かれています。

人はいなくても

こんな言葉で迎えてくださるとは!

しかも境内絵図付きですから

この親切、有り難し!

新田義貞公墓所

本堂参拝の前に、

新田さんにご挨拶すべく

墓所を目指します。

案内板と手水舎。

そして、満開の桜もお出迎え!

参道。

これがあれば、

迷うことは無し!

なんと、地面にまでも案内があり、

ここまで親切にして頂くと、

スルーは不可能です(笑)

墓所への参道。

墓所の前に建つ、中雀門。

新田義貞公については、

パンフレットとほぼ同様の

内容が書かれています。

中雀門からお墓に参拝。

ズームで撮影。

もっと近くでお参りできないかと

境内をうろついていたら、

こんな入口を発見!!

門扉も開いているし、

これって、絶対ウェルカムですよね?

「よくおいでくださった〜!」

なんか、新田義貞公の

声が聞こえて来たような・・(笑)

妻と二人して、

喜び勇んで墓所近くへ。

さらに石段で最接近・・

石玉垣内の五輪塔に改めて参拝。

参拝後、墓所近くに建つ、

十三重塔(右)と石碑へ。

塔の台座には新田さんの家紋があるので、

供養塔的なものなのかと推察し、

ここでも参拝。

この後は本堂へと向かいます。

 

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