崇福寺(長崎県長崎市)
九州の国宝の半分は長崎にあり
九州の国宝建造物は、
7県合わせて全部で6つ。
奈良県だけでも60以上もある
近畿地方に比べて、極端に
少ないのが特徴です。
いえ、近畿地方以外と比べても
かなり少ないのですが・・・(笑)
そんな貴重な九州の6つの国宝の中の
半分がここ長崎にあります。
一つは大浦天主堂で、
あとの2つは今回参拝した崇福寺です。
国宝に指定されるには、
高いハードルがあるのでしょうが、
日本の国宝建造物を、
見学するハードルは低いもので、
行けば多くの場合、
無料で見られる(笑)という
お気軽さなのが有り難いですね。
崇福寺へ
丸山公園を起点として、
大徳寺の大クスとは反対側にあるのが、
崇福寺です。
この界隈を歩くと、
色んな名所が意外とコンパクトに
まとまっているのがわかります。
東京都の「高島平」の名前の元になった
砲術家、高島秋帆の旧宅もあるようです。
小道を歩いていると
民家の塀に観光客向けの
親切な張り紙を発見しました。
「ほんとうのオランダ坂」
と題された案内には、
丸山遊郭の遊女がオランダ人の
自宅に通ったからオランダ坂とか、
明治時代、西洋料理店「福屋」へ
外国人
(長崎ではすべてオランダさんと呼ぶ)が
この坂を通ったという説があると
書かれています。
さるくだけでも楽しめるのは、
こんなおもてなしがあるからですね。
※さるく=長崎弁で「歩く」の意味。
三門
丸山公園から歩く事10分ちょっと
崇福寺に到着です。
国指定重要文化財の三門。
山門ではなく三門と案内されていますが、
門が三つあるので、
三門と呼ばれるそうです。
材質は一見、コンクリのように見えますが、
これは「石の練り積み漆喰塗り」と
書かれています。
扉の飾りが凝っています。
入って左側の階段から撮影した三門。
在日華僑が集った記念石碑。
偉い人(業績は不明)。
仏像。
お墓?
第一峰門
階段を上る見えて来たのが
かなり凝った作りの門です。
これが第一峰門。
この門は国宝で、
江戸時代初期、
元禄八年(1695年)の建立です。
複雑な組物と扁額。
ここには、崇福禅寺と
書かれています。
門をくぐった反対側の景観も
表同様に素晴らしいものです。
境内。
煉瓦作りのこの建物は、
聖福寺で見たのと同じ、
寺内の不要文書類を
焼却するための炉のようですね。
長崎のお寺には、
定番のアイテムなのかな?
崇福寺護法堂
境内入って右の建物。
崇福寺護法堂(関帝堂又観音堂)。
国指定重要文化財で、
享保十六年(1731年)の建立。
右側には三国志の英雄の一人、
関羽の像が睨みをきかせています。
だから「関帝堂」の名前なんだと納得。
関羽さん、中国では神とされているのかな?
真ん中には観音菩薩。
左には韋駄天。
大雄宝殿
崇福寺護法堂と
向かい合わせに建っているのが、
国宝の大雄宝殿です。
案内にも書かれていますが、
擬宝珠がつららのように
下がっているのが珍しいですね。
正保三年(1646年)の建立。
中国から材木を加工して運んだそうです。
大雄宝殿の中。
正面の本尊は阿弥陀如来座像。
十八羅漢。
反対側の九体。
こんな威厳があって、凄い建物なのに、
庶民的で、大変親切な
おもてなしを受けたのが、こちらです。
参拝者に向けられた扇風機ですよ!
このお陰で、
どれだけ涼しく参拝出来たことか!
ずっと手を合わせてここから
動きたくなるほどです(笑)
ありがとうございます、崇福寺さん。
回廊。
崇福寺鐘鼓楼
鐘鼓楼とは、ちょっと珍しい名前ですね。
崇福寺鐘鼓楼。
こちらも国指定重要文化財で、
享保十三年(1728年)の建立。
二階には鐘と太鼓の2つがあるので、
鐘鼓楼(しょうころう)という
名前になっていて、
僕は、初めて聞く名前でした。
ズームして中を覗くと
太鼓は見えませんが、
鐘ははっきり分かります。
崇福寺大釜
鐘鼓楼のすぐ前で
存在感抜群なのがこの大釜。
崇福寺大釜。
案内によると
天和二年(1682年)2月の
作というから350年も昔の作品で、
不作の救済を目的とする
施粥の為に造られたものと
書かれています。
崇福寺媽姐(まそ)門
大釜を右に見て正面にあるのが、
これまた歴史を感じさせる門です。
崇福寺媽姐(まそ)門。
国指定重要文化財で、
大雄宝殿と庫裡を繋ぐ回廊としての
機能も果たしています。
中国に来たような雰囲気?
中国に行った事はないですが(笑)
媽祖堂
門をくぐって正面。
こちらが媽祖堂。
案内。
「船の媽祖像を揚げ卸す儀式のために、
前庭には空間が設けられており、
長崎港内から遠望出来るように
目印の旗を立てた
刹竿(旗竿)石一対が、
鐘鼓楼前に残っている」
へ~そうだったのか。
そんな大切な儀式をする場所だったとは。
しかし・・・
その石一対、見るのを忘れました(汗)
参拝。
媽祖堂の中。
真ん中が、
天上聖母とも呼ばれる媽祖像。
Wikipediaによると
「媽祖(まそ)は、
航海・漁業の守護神として、
中国沿海部を中心に
信仰を集める道教の女神
(中略)
日本でもオトタチバナヒメ信仰と
混淆しつつ広まった」
このように紹介されています。
最後に出てきたオトタチバナヒメは、
ヤマトタケルの妻で、関東に遠征中、
海が時化て船が沈みそうになった時、
その身を海に投じると
海は静まり、夫は無事に目的地に
着いたという逸話から媽祖と
習合したのでしょう。
ちなみにこの後、ヤマトタケルが
亡き妻を思い、「あずまはや」
つまり「わが妻よ!」と発したのが
「あづま(関東地方の呼び名)の
語源とも言われています。
が、
ヤマトタケルは遠征から帰ると
すぐに以前から婚約していた
別の女性の元に帰っています(笑)
話がそれましたが、
この天上聖母の前側の両脇に
狛犬の如く立っている像が
何気に目立つのです。
「順風耳」。
明石家さんまの「なんですか~」を
彷彿とさせる耳に手をかざず
ポーズが目を引きます。
きっと順風を運んでくれる
守り神なのでしょう。
「十里眼」
遠くを見ているポーズ。
海のはるか向こうを見渡し、
後悔の安全に寄与してくれる
神様でしょうか。
媽祖堂の横に階段があったので、
上から撮影してみました。
ハンポウ
その後、回廊に戻って発見したのが、
こちらの大魚です(笑)
木魚の元祖である「ハンポウ」と妻。
悪いものを吐き出しそうになっています。
維持天保二年(1831年)と
刻まれていますので、200年近く
お腹を叩いて時を告げたり、
悪いものを吐き出させられて
来たのでしょう(汗)
木の魚(ハンポウ)も大変です。
休憩所
ここまで散策して、暑さに疲れた時、
庫裡の前にあったのが、
こんなスペースです。
大型の扇風機がビュンビュン回る前、
椅子とテーブルが準備されています。
どこまでも、参拝者に優しい、
崇福寺さんですね!
ツーショットで参拝完了。
今日のお言葉
小道で見つけたのが、
こんなお言葉でした。
「人間、好きな道によって
世界を切り拓いていく」
by坂本龍馬。
何か、背中を押されたみたいです!
心に染みるお言葉をありがとう!