聖福寺(長崎県長崎市)

 

坂本龍馬の足跡を訪ねる旅

一年ほど前から妻の竜馬好きの影響と

肥前さが幕末維新博覧会で

触発された事により、

坂本龍馬に興味が湧き、

結果、長崎市、広島県福山市鞆の浦、

高知県と坂本龍馬の足跡を

追う旅を続けてきました。

そして、今回長崎の旅で、

唯一、坂本龍馬との関係があるのが、

ここ聖福寺でした。

聖福寺へ

長崎でお世話になるのは、

バジェットレンタカー。

親切にも長崎駅まで

送迎してもらえるので、

お言葉に甘えました。

僕たちの車は左端の黒い軽自動車。

免責補償料込で、一日使って

3500円という破格値に

感謝しながら聖福寺へ。

聖福寺の前は「筑後通り」という名の通り。

昔、筑後(福岡県)地方の商人が

ここに移り住んだ事からついた名前だそうです。

いきなり見えるのは国指定重要文化財の山門。

山門前には坂本龍馬にまつわる話が

紹介されています。

広島県福山市の鞆の浦近くで起きた

いろは丸事件の談判が行われたのが、

ここ聖福寺なのです。

もちろん談判の痕跡を求めての

参拝でしたが、この案内以外には、

いろは丸事件に関するものは、

見つけきれませんでした。

山門。

立派な扁額。

山門を入って右へ。

長崎市指定有形文化財の

聖福寺惜字亭(せきじてい)。

案内には、

「寺内の不要文書類を焼却するための炉で、

惜字亭という名称は、

文字を焼却するにあたり

書かれた文字を惜しむという意味を示し、

たいへん奥ゆかしい。

炉は煉瓦造り漆喰塗りの六角形で、

建築は慶応2年(1866年)7月と

されている。」

このように書かれています。

惜字亭・・なんとも素敵な名前ですね!

惜字亭の前にある亨保十四年

(1729年)建立の石の塔。

正面の「三界萬霊」の三界とは

「欲界」「色界」「無色界」の事で

この全ての霊を宿らせて

祀るために建てられた塔です。

(ネットの複数サイト調べ)

お堂(霊場)。

お堂横には、古い狛犬が鎮座。

吽形は、豚鼻がかわいい(笑)

国指定重要文化財「天王殿」。

正面には弥勒菩薩(布袋)。

そして、門をくぐり反対側に回ります。

ここにも同じデザインの縦格子があり

その中にいらっしゃるのは、こちらです。

「韋駄天」。

足が早い仏様として有名ですが、

Wikipediaによると

これは俗信だそうです。

門をくぐって右側にあるのは、

神宮寺だった金比羅神社の石門。

案内によると明治19年、聖福寺が、

金比羅神社より譲り受け

現在地に移設したそうです。

この門の反対側にあるのが、鐘楼です。

こちらも国指定重要文化財で、

案内によると、

享保元年(1716年)の竣工で、

長崎県下では現存する最古の鐘楼で、

梵鐘も元禄七年(1694年)寄進、

享保二年(1717年)の改鋳で、

戦時供出も逃れていますから

貴重なものですね。

正面の扉には桃の彫刻が施されています。

背後の高台から撮影。

梵鐘も見えていますね。

大雄宝殿へ。

手水鉢は、延寳八年(1680年)と

これまた古いものが残っています。

参拝へ。

ここにも桃。

参拝。

この後、この右横で発見したのが、

このお魚です(笑)

巨大だ~(笑)

妻との大きさ比較で、

さらに巨大さがわかります。

この巨大魚の正体は、

ここに書かれていました。

親切にもお堂の前には、

テーブルがあり、こんな拝観説明が

ファイルされていて、自由に読めるのです。

案内には、

「これは「ハンポウ」と言い、

日常の時間を知らせるもので、

木魚の原型でもあります。

魚の腹を叩いて、

口にある三毒(欲望の玉)を

叩き出そうとしているのを

修行僧が、ハンポウのお腹を叩いて

吐き出すのを手伝いながら

己の日々の三毒を吐き出すのを

意識させる道具でもある。

その為に読経の時に木魚を鳴らす

事につながります」

こんな説明になっています。

木魚を叩く意味、

初めて知りました!

ハンポウに感動したあとは、

反対側に回ってみます。

回廊。

桃園。

ここにも桃ですね!

茶筌塚。

瓦塀。

お寺の背後はお墓ですが、

登ってみました。

大雄宝殿の屋根と鐘楼。

かなり痛みが激しいのですが、

近いうちに大規模な修復をされるようで、

そうなると数年は拝観出来なくなるので、

今回、ちょっと慌てて

参拝した次第でもあります(笑)

この後、境内で案内されていた

じゃがたらお春の石碑を見学。

ポルトガル人と日本人との間に生まれ、

キリシタン禁制で

バタヴィアに流されたお春は、

この筑後町に住んでいたそうです。

最後にツーショットで参拝完了。

坂本龍馬が紀州藩と談判した部屋など

ひょっとしたらテーブルの上の

説明書に書いてあったのかもと

今更ながら考えてしまいました(汗)

 

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