soraかさい/鶉野飛行場跡・概略
戦争遺跡のあり方と魅せ方
「特攻隊」と言えば、
鹿児島を想起しますが、
最終的に特攻攻撃で飛び立った基地が
鹿児島にあった為、
そのイメージが定着しているようで、
僕も随分長い間、その認識でした。
しかし、
特攻隊は日本全国各所で編成され、
それぞれが地元の基地から、
鹿児島の発進基地へ移動し、
そこから沖縄方面へ特攻したのです。
兵庫県加西市の鶉野飛行場跡は、
そんな特攻隊編成基地の一つであると共に、
終戦まで、特攻ではなく、
源田実大佐司令の下、
制空権奪回を掲げて戦った
三四三海軍航空隊が使用した
「紫電改」の組立工場、
試験飛行場でもありました。
この特異な歴史を持つ
鶉野飛行場跡に建設されたのが、
「soraかさい」です。
とにかく展示や案内の内容が深く、
分かり易く、
戦争遺跡のあり方と魅せ方の一つの
好事例と言って間違い無いでしょう。
入場
車で高速を使い、
途中迷いながらも(笑)
約1時間20分ほどで
「soraかさい」に到着。

この日、
令和8年9月13日は、
紫電改の実物大模型が
屋外展示される事もあり、
到着した11時半前には、
駐車場はすでに満車に近い状態でした。

入口へ。

昔は戦争で飛行機が飛び、
今は、
平和な空を気球が飛んでいます。

入場券。
この施設が今どき200円とは、
衝撃的な低価格ですね。
戦争や特攻の事を多くの人々に
気軽に知ってもらいたい。
そんな主催者(加西市)の思いが、
ここに込められているようで、
正直、大いに敬意を感じます。
パンフレット
soraかさい訪問の主目的は、
紫電改実物大模型の野外展示ですが、
まずは2種のパンフを抜粋しながら、
撮影禁止だった
歴史ゾーンの展示を中心に
概略を書くことにします。

「姫路海軍航空隊鶉野飛行場とは」
「第二次世界大戦が激化し始めた頃、
パイロット養成を目的に
昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場。
姫路海軍航空隊が開隊され、
多くの若者が飛行機の操縦訓練を実施。
また、滑走路の西側にあった
川西航空機姫路製作所鶉野工場では、
「紫電」「紫電改」など
500機余りの戦闘機が
組み立てられました。

館内マップの右側が、
映像と資料で案内してくれる
歴史ゾーンです。

■歴史ゾーン
鶉野飛行場建設開始から
終戦までの、約3年間の
トピックスを時間軸に沿った
4編のストーリー映像として
紹介しています。
01 物語|飛行場の建設
約274万㎡という広大な飛行場と
その関連施設は、
1年たらずで完成しました。
建設工事では加西郡や
近隣の地域からの勤労奉仕、
朝鮮半島から集まった労働者など、
毎日、千人を超える人びとが
働いたそうです。
ここでは、
飛行場建設にかかるできごとや
実物資料を紹介していきます。
02 記憶|航空隊の開隊
1943(昭和18)年10月、
姫路海軍航空隊が編成されると、
全国から飛行機操縦訓練のため、
練習生が集められました。
厳しい訓練に明け暮れる練習生の楽しみは、
日曜日に列車に乗って
市街地の北条などに行き、
航空隊が斡旋してくれた
下宿で過ごすひとときでした。
下宿先ではごちそうが用意されたり、
寝転んで雑誌を読んだり、
家族と面会したりすることができました。
ここでは海軍で使われていた
衣装や装備品などを紹介しています。
03 生命|特攻隊の編成
1944(昭和19)年、
マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦で
大敗するなど戦況悪化の中、
海軍では神風特別攻撃隊が編成され、
航空機による体当たり攻撃
(特攻)がはじまりました。
1945(昭和20)年2月、
軍令部、連合艦隊の意向により
沖縄方面での作戦主体は特攻となり、
姫路海軍航空隊にも
「白鷺隊」が編成されました。
白鷺隊員は同年3月、
攻撃隊の待機基地である
鹿児島県の串良へ飛び立ちました。
海軍航空隊の特攻戦没者数は2,507名、
そのうち沖縄での作戦では
2,055名にのぼります。
ここでは、
「白鷺隊員」が串良基地で
遺言と名前を記した
落下傘の複製品を展示しています。
また、
映像により各遺文の紹介をしています。
04 飛翔|戦闘機の組立
川西航空機姫路製作所の近くには
試験飛行をするための
飛行場がなかったため、
飛行場のある鶉野に
組立工場が建設されました。
姫路製作所で製造された
「紫電」「紫電改」は一旦三分割され、
3頭立ての馬車で鶉野に運ばれました。
トラックや燃料の不足もありましたが、
車の振動による機体の損傷を防ぐために、
搬送にはゆっくり運べる
馬車が使われました。
鶉野で再び組み立てられた機体は、
今もその跡が残る
コンクリート製滑走路から飛び立って
試験飛行が行われていました。
ここでは、
戦闘機「紫電」「紫電改」に関する
資料や実物を紹介しています。
05 継承
ここでは戦争体験者の
証言映像をご覧いただけます。
当時の鶉野飛行場の事実を伝える
貴重な証言をお聞きください。
感想
とにかく展示を見て衝撃的だったのは、
「姫路製作所で製造された
「紫電」「紫電改」は一旦三分割され、
3頭立ての馬車で鶉野に運ばれました。」
この部分です。
最先端技術が詰まった最新鋭機を
馬車で運ぶという余りのギャップに
驚きました・・・
ただ、
これが当時の日本の限界で、
アメリカに勝てるはずが
無かったという事でしょう・・・
(続く)