出水海軍航空基地/「雲の墓標」
特攻碑公園
大東亜戦争(太平洋戦争)終戦間際、
特攻隊の発進拠点となった出水基地。
その基地跡の中心付近にあるのが、
「特攻碑公園」です。

基地略図だと真ん中あたりの
「現在地」付近になります。

まずは案内板からスタート。
以下、抜粋です。
■海軍出水航空基地の歴史
「昭和16年、
真珠湾攻撃の訓練基地となり、
昭和18年4月、練習航空隊として
出水海軍航空隊が発足。
その後昭和19年8月15日には、
飛行機の整備教育を行うため
第二出水海軍航空隊が開隊し、
19年10月には戦局の悪化に伴い
763航空隊(銀河部隊)が開隊しました。
昭和20年3月からは
戦闘部隊の基地として
利用されるようになり、
3月18日以降特別攻撃が始まり、
散華された特攻隊員は
200余名と言われています。
出水基地への空襲が始まったのは
昭和20年3月18日、
米空母フランクリン等から
発進した艦載機によって
飛行場施設や兵舎に甚大な被害を受け、
4月17・18日には
大型爆撃機による攻撃で
格納庫・滑走路に致命的な損害を受け、
付近の民家も甚大な被害を受け、
多数の死者を出しました。
同月21・22日には
油脂爆弾・時限爆弾の攻撃により、
基地は壊滅的な被害を受けて、
その後も空襲は続きましたが、
8月1日の出水アルコール工場の
爆撃を最後に
アメリカ軍の空襲は終わりました。」
この中で記された米空母フランクリンは、
偉人「ベンジャミン・フランクリン」の
名前から命名された大型空母で、
出水空襲を行った翌日の3月19日、
日本機の攻撃で大破し、
乗組員800人ほどが亡くなり、
再び戦列に復帰する事なく、
アメリカ本国で修理中に、
終戦を迎えています。
日本もやられるだけでなく、
国を守るという崇高な使命のもと、
必死で命懸けの反撃した事を、
ご英霊の皆様になり代わり、
ここに追記しておきます。
林善重大尉を顕彰
「特攻碑公園」の駐車場前には、
昭和20年4月21日に行われた
出水・阿久根上空での空戦を
再現(多分)した空間があります。
これはその空戦で散華された
三四三空(剣部隊)、林善重大尉を
顕彰しているものでしょう。
(僕の知識内での想像ですが)

手前が林善重大尉の紫電改、
相対するのは出水基地を襲った
大型爆撃機B29です。

「ずんぐりむっくり」の機体と
四翅プロペラ、
このオブジェの作者が意図したのは、
紫電改の勇姿で間違いない・・はず。

紫電改を見上げると、
「B29を落とせなかったら
もう帰ってこない・・・」
周囲にそう話し、
24歳の若さで逝ってしまった
当日の林大尉の悲壮な決意が、
偲ばれます・・・

「紫電(改)【艦上戦闘機】
実物大パーゴラ」
このように案内されています。
パーゴラって何ぞや?
そう思ってネットで調べると、
「柱に格子状の屋根を乗せた外廊下」
このように書かれ、
藤棚なども同じ部類に入るようです。

主翼はパーゴラ、
水平尾翼はベンチになっていますね。

斜め前から。

こちらは7年前、
愛媛県愛南町の紫電改展示館で見た
海から引き揚げられた
三四三空の紫電改です。
紫電改のパーゴラ、
この姿を知っているからこそ、
なおさら心に刺さってきます・・・

「B29爆撃機 主翼実物大フェンス」

B29の主翼、
全幅43mはめっちゃデカイ!

エンジン部分と
妻の身長(159cm)との比較。

反対側の翼端から。

「紫電(改)操縦席からの景色」。
こんなものまであるとは驚きましたが、
お陰で、
僕も妻もテンションMAXです(笑)

林大尉に敬意を持ちつつ、
見えない操縦桿を握り締め、
必死でB29に立ち向かう妻。
林善重大尉の慰霊碑と
紫電改が沈む海を拝んだ直後に
こんな事が出来るなんて、
これも林大尉のお導きかも知れません。
慰霊碑「雲の墓標」
紫電改実物大パーゴラの次は、
妻が一番楽しみにしていた(笑)
地下戦闘指揮所へ行ったのですが、
話の流れ上、
先に慰霊碑を参拝した体で書きます。

公園の風景。

折鶴のオブジェ。
散った桜の花びら一枚一枚が、
特攻隊員の魂のように感じれれます・・

段の上に特攻碑が見えていますが、
実はこの下には、
地下戦闘指揮所があるのです。

こちらが右横にある地下への入口で、
ちょうど真上には
特攻碑の側面が見えています。

美しく整備された特攻碑とその周辺。

参拝。

出水市のサイトによると
この碑文について
以下が記されています。
「碑は当時の戦闘指揮所地下壕の上に、
南の空を望むように立っています。
正面の碑銘には、
「雲こそわが墓標 落暉よ碑銘を飾れ」
とあります。
これは阿川弘之の小説
「雲の墓標」から取ったもので、
「南の海に散る身には、
雲こそが墓じるしだ。
夕日よ、心あるなら
この雲を紅に彩ってくれ」という、
出撃を前にした特別攻撃隊員の
心境を詠んだものです。」
これを読んで、
ちょと鳥肌が立ちました・・
出水基地訪問から3ヶ月後の6月9日、
愛知県田原市で
夜間戦闘機「月光」の遠藤大尉の
慰霊碑を参拝直後、
雲を紅に彩った夕焼けを見たのです。

あの時見た空は、間違いなく
「雲の墓標」だったのでしょう・・

「海軍航空隊出水基地
陸攻隊銀河隊 出撃之地」碑。

「長州の萩に生まれて国の為
出水の里で 永久に眠れり」
山口出身の方の慰霊碑です。
出水の空襲か、出水から飛び立って
命を落とされたのでしょう・・

海中から引き揚げられた
プロペラとエンジンの展示。
ここも地下壕の上と思うと、
なんだか尻がむず痒くなります・・・
(続く)