宗生寺(福岡県宗像市)前編

 

ご近所の名所

最近、妻から教えて貰ったのが、

自宅から車でわずか30分ほどの場所に、

「宗生寺」(そうしょうじ)

というお寺があり、

そこには、

名島城の搦手門が移設されていたり、

小早川隆景のお墓があるという事実です。

やはり「灯台もと暗し」で、

遠くばかり見ている僕には、

またしても目からウロコ(笑)

そんな近くならすぐ行くしかありませんね。

宗生寺へ

ご近所ということで、

自宅を出たのは午前9時。

妻には弁当を作って貰ったので、

今日は、旅の楽しみが倍増しています(笑)

お寺の前には広い駐車場があり、

駐車場探しのストレスは

皆無というのが、有り難し!

エントランス。

御由緒などの説明。

「文明十五年(1483年)

許斐城主の多賀出雲守隆忠の

亡父の菩提を弔うために建立」

「初代筑前藩主、小早隆景は、

菩提寺として知行百石を寄進」

「黒田長政も五十石を寄進、

黒田忠之も山林三千六百坪と

観音堂を再建」

このように歴代藩主の崇敬も

篤かった事が書かれています。

分かりやすい境内の地図。

名島城搦手門(山門)

最初の見所は、

名島城搦手門を移設した山門です。

石段や石垣の古さにも萌え~(笑)

渋いですね~名島城搦手門。

400年以上の月日を

ひしひしと感じさせてくれます。

小早川隆景もくぐったのでしょうか?

いや城主は基本大手から入るでしょうから、

搦手から入る事はないかな(笑)

本堂へ

山門を舐め回すように(笑)

見た後は本堂へ。

山門をくぐるとそこには、

藤棚が広がっています。

藤棚の下の石は、

石庭のように美しく保たれています。

山門右横の大悲殿。

「大悲」(だいひ)とは、

観音菩薩の別名だそうですので、

ここには観音様が祀られているのでしょう。

参道左側の納骨堂。

お地蔵様にご挨拶。

本堂。

案内によると、

昭和29年再建となっています。

参拝。

許斐城主の墓

次に小早川隆景の墓を目指しますが、

その手前には、許斐城主の墓があるので、

まずはそちらに参拝です。

本堂の左端には、

お墓への案内板があり

お参りする人が迷うことはありません。

許斐城主のお墓にお参り。

小早川隆景の墓

許斐城主のお墓からさらに登ると

小早川隆景の墓があります。

まずはお参り。

五輪塔のアップ。

ここには小早川隆景の

遺髪が埋められているそうです。

墓の周りには、

四人の供奉(ぐぶ)の墓(五輪塔)が

主君を囲むように配置されています。

向かって左側の供奉の墓。

供奉とは「お供」という意味ですから

殉死した方々のお墓かも知れません。

ともあれ、

この訪問がきかっけて、

小早川隆景が荼毘に付され、

遺骨が埋められたお墓が

広島県三原市に鎮座する、

小早川家先祖代々の菩提寺、

「米山寺」にある事を知り、

またもや三原城に呼ばれたのでした(笑)

御開山 器庵祐才大和尚の墓

少し上には代々の

住職さんたちのお墓があります。

お参り。

御開山 器庵祐才大和尚の墓にお参り。

この後、

観音堂へ向かいます(後編に続く)

今日の新旧

本堂右上に設置されていた

防犯カメラと喚鐘(かんしょう)。

文明の利器である防犯カメラと、

古(いにしえ)から音を鳴らし、

人を呼び出す為の喚鐘が、

ワンセットになっています。

デジタルとアナログの融合とでも言うのかな(笑)

 

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