宗生寺(福岡県宗像市)後編

 

武士と神仏

御成敗式目の第一条と第二条、

神社や寺を大切にするようにとの

文言の効果と、

それ以前からの

日本の伝統的習慣もあってか、

領主、大名などが、寺社の造営や保護、

寺社への寄進をする行為は、

当たり前のようになされていて、

キリシタン大名でさえ、

寺社を保護した例も多く、

武士と神仏とは、

切っても切れない縁があるようです。

だからこそ、

武将・大名を知れば、

彼らが寄進した寺社を知り、

そしてその寺社に参拝し、

また、寺社で武将を知れば、

今度はお城に行く(笑)

そんな旅の循環が出来ているのかな?

今回訪問した宗生寺もその一環で、

小早川隆景の墓を知り、訪問し、

そこで許斐氏、黒田氏など

武士の寄進や崇敬を知りました。

やはり、人と神仏は

それぞれが高め合う中、

日本の歴史は作られて来たのでしょう。

馬頭観音堂へ

小早川隆景の墓に参ったあとは、

案内で気になっていた

馬頭観音堂へと歩きます。

左下の小早川隆景公墓地から

本堂裏の尾根伝いの山道を通り、

右上の馬頭観音堂へ抜けられる

裏道?を選択。

途中のお堂にご挨拶。

熊野権現のお尻(笑)が

見えて来ました。

熊野権現に参拝。

すぐそこには馬頭観音堂があります。

左が馬頭観音堂、右が通夜堂。

宗生寺の馬頭観音について、

お寺の案内によると、

「大穂の観音さまとして親しまれている

馬頭観音は筑前の国三十三観音の

第十八番霊場とされている。

本尊は僧行基菩薩の

一刀三礼の作といわれ、

三十三年間に前半十七年、

後半十六年毎の二回しか

開帳されない秘仏で知られている。」

このように書かれています。

一刀三礼とは、

ひと彫りするごとに、

三度礼拝するという意味ですから

どんだけ時間がかかったのでしょう!

それだけ魂が込められた作品なのですね。

観音堂前の燈籠と牛と台座。

台座の脚にはイタリアの自動車メーカー

フェラーリのロゴ的な

「馬」が彫り込まれているのは、

馬頭観音の「馬」に、

関係しているのでしょうか?

参拝。

お堂の向かいにある案内には、

「慶安二年(1649年)

筑前藩主黒田忠之が

現在の本堂を再建した」

このように書かれています。

黒田長政の子である黒田忠之が、

鎮国寺の本堂を再建したり、

櫻井神社の創建などで、

寺社への崇敬が高いのは知っていましたが、

ここでも忠之公の名前が出てくるとは、

ちょっとビックリですね。

お堂前の石馬。

観音堂の真ん中は龍の彫刻。

右側は阿形の狛犬。

左側にはお猿さん似の吽形の狛犬。

御神籤。

何でもやってみるのが僕たち流(笑)

何番だったか忘れた~(笑)

ここで記念のツーショット完了。

鐘楼

馬頭観音堂のすぐ近くには、

鐘楼があります。

鐘楼へ。

案内によると、

「延宝六年(1678年)

筑前藩主黒田光之が

建立寄進したもの」

このように書かれていて、

馬頭観音堂を寄進したお父さん同様、

子供の光之公も宗生寺への

崇敬は篤かったようですね。

この古さが350年の

歴史を物語っているような・・・

石垣

いつ頃作られたものかは分かりませんが、

馬頭観音堂の下は石垣となっていて、

お城的な雰囲気を味わえます。

打込み接ぎ的な積み方は、

江戸時代初期のもの?

結構な高石垣ですね!

庭園

最後に、天明四年(1784年)に

造園されたという庭園へ。

春にはこのツツジが綺麗な事でしょう。

正直、「庭」の事は

あまりわかりません(汗)

今日の花

まだ見頃には程遠いながらも

庭園近くには梅の花が咲いていました。

紅梅。

白梅。

何となく縁起が良いな~(笑)

気になる木

馬頭観音近くの木。

木の名前はわかりませんが、

この根っこの存在感、

迫力満点です!

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください