豊臣秀次像(滋賀県近江八幡市)

 

豊臣秀吉の甥

豊臣秀吉の実質的な跡継ぎとされ、

関白にまでなった甥っ子の秀次は、

秀吉に淀君との実子、

秀頼が生まれたことで、

秀吉から邪魔者扱いにされ、

最後は高野山で切腹し

生涯を終えています。(諸説あり)

おじさん(秀吉)が、天下人でなく、

ただの百姓のままだったなら、

そして、

秀吉のお姉さんの

子供でなかったならば、

全く違う人生になっていた事でしょう。

(幸せか否かは別として)

まあ、それは現代に生きる

僕たちにも当てはまる

「もしも」の話ですけどね(笑)

人って、

どこまでも謎な生き物だな~と

改めて考えさせられた

豊臣秀次像でした。

八幡山ロープウェイ

日牟禮ひむれ八幡宮参拝後、

神社向かい側の慰霊塔へ。

御英霊を祀った慰霊塔に参拝。

この背後に見えているのが、

豊臣秀次の八幡山城があった

八幡山です。

今回は雨で視界も望めない事から

ロープーウェイには乗りませんが、

ちょっと駅前を散策。

ここで、見つけたのが、

こちらのパネルです。

滋賀県名物「飛び出し坊や」。

何と、

ロープーウェイから飛び出していますよ!

これぞ飛び出し坊やの面目躍如、

観光客のおもてなし、

抜かりなしですね(笑)

八幡山公園

ロープーウェイ乗り場を過ぎ、

少し行くと、八幡山公園の

駐車場が見えてきます。

駐車。

ここから銅像に行けるのか

ちょっと不安でしたが、

取り敢えず階段を登ってみる事に。

なんか、凄い草むらです(汗)

植樹の案内はありますが、

銅像の位置はわかりません。

高台からの眺め。

雨で霞んでいますが、

それなりに見えていますね(笑)

この未知なる道(笑)が、

秀次公への出会の道なのか?

とにかく進んでみます。

豊臣秀次像

ついに、到着です。

正面。

斜めから。

全身アップ。

お顔のどアップ。

案内を抜粋すると、

以下になります。

「秀次は、

1568(永禄11)年に

尾張の国に生まれました。

母は豊臣秀吉の姉「とも」で、

後に秀吉の養子となりました。

1585(天正13)年、

秀吉から近江を中心に

二〇万石を与えられ、

八幡山城主となります。

この時八幡山城が築かれ、

いまに残る八幡の町の原型が

整備されたといいます。」

実は、この案内板、

こんな所にあったのです・・・

案内板が、

枯れ葉の上に倒れています・・・

まるで、秀次さんの

悲しい「運命」を象徴するように・・・

次回のお楽しみ

今回は雨という事で、

八幡山城とその周辺の

見所は全部パスしています。

八幡山公園の西側には、

大手道、秀次館跡などの

ワクワクする史跡ばかり。

八幡山ロープーウェイも含め、

次回のお楽しみ、

めっちゃ沢山ありますね(笑)

 

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