2018/11/15
相撲神社(2018年奈良の旅)
相撲発祥の地
奈良の旅二日目、
ここまで訪問を予定していた神社のうち、
偶然の出会いがあった、
八咫烏(やたがらす)神社を含み、
石上(いそのかみ)神宮までの
五社を巡ったところで、
時間はすでに午後の4時。
奈良駅から福岡へ帰る
予定時間からすると
当初予定していた水の神様、広瀬大社と
風の神様、龍田大社は、
訪問はもはや100%不可能。
そこで石上神宮に近い、とある神社に参拝して、
奈良駅に戻る事にしました。
ほどなく目的の神社に到着したのですが、
車を止める場所が見つからず、
それ以上に、
周囲にの看板に書かれている文言を見て、
「なんとなく行きたくない」気分になったので、
結局、奈良駅とは逆方向になるものの
前から気になっていた
日本最初の古墳であり
女陰を箸で突いて死んだ、
倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)が葬られた
箸墓(はしはか)古墳に行ってみることにしました。
(女陰を突いて死ぬパターンが
多いのが日本神話の特徴の一つである)
その途中、道路脇で見つけたのが、
「相撲神社」の看板です。
実はこの日の朝、
宇太水分(うだみくまり)神社に行く途中、
同じ道でこの看板は見ていたのですが、
その時は、「時間が無いから」という理由で、
そのまま目的の宇太水分神社に
直行していました。
ご縁とはこんなものなのでしょう。
僕たちは目的地を箸墓古墳から
相撲神社に変更したのです。
相撲神社へ
看板に導かれて、国道から
左に折れて少し細い道を進むと
そこは住宅街となっています。
するとそこには素晴らしい案内板がありました。
これだけ大きく立派な案内板を設置するとは、
桜井市観光まちづくり協議会の方に
敬意を表します。
そして、その近くにはこのようなものも。
「へ~!!このあたりは、
纏向(まきむく)遺跡の
近くだったのか!」
神社検定の教科書に載っていた名前で、
ず~っと気になっていた場所だったのが
かなり嬉しくて
思わず心の中で叫んでいました(笑)
そんな事もあってワクワクしながら、
相撲神社に到着。
いきなり出ました!!妻横綱(笑)
堂々たる雲龍型の土俵入りですね。
「カタヤケシ由緒」
何だろう?カタヤケシって・・・
と思ったらこの地の名前でした。
それにしても何でカタカナなんでしょうか。
いや、ここで考え込んだら先に進みませんから
これで止めます(笑)
いづれにしろここは日本書紀に書かれている
野見宿禰(のみのすくね)と
当麻蹴速(たいまのけはや)が、
日本初の相撲、
しかも天覧相撲を行った場所とされ、
相撲発祥の地となっています。
参道。
天穂日命(あめのほひのみこと)の
14代の子孫、
穴師大?(読めない)神大宮司、
野見宿禰公と刻まれた石碑。
当麻蹴速に勝った、
出雲(島根県)出身の野見宿禰が
ご祭神となっています。
横綱土俵入りの像。
なんだか稀勢の里の顔に似ていますが、
この像が出来たのは
稀勢の里が横綱になる前の事。
昭和37年、ここで、当時の横綱
柏戸と大鵬が土俵入りをしたそうです。
う~ん荒れた感じが少し悲しいかな・・・
本殿。
ここ相撲神社は、この少し奥に鎮座する
大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)の摂社です。
案内には、昭和37年10月6日、
その本社である
大兵主神社に日本相撲協会の
時津風理事長を祭主に、大鵬、柏戸の
二横綱や五大関をはじめ幕内全力士が、
参列し、顕彰大祭が行われたと書かれています。
野見宿禰の顕彰碑。
イタズラされていますね・・・
文化財を傷つける人は、
きっと心に傷を負っていたり
深い悲しみを持っているのでしょう。
どうか幸せな人生を過ごして欲しいものです。
参拝。
春日造りの本殿を眺めていたら
なんか気になる形が!
近づいて見るとこんなものが、
本殿を支えていました。
力士ですよ!!
こんなユーモアというか
デザイン力というか、
人を「ニヤリ」とさせる
素敵なセンスを持っている方を
僕は尊敬しますね。
全部で六名の力士が支えています。
かなり重そうな表情がたまらない!
最後にツーショットで〆。
相撲神社、
力士が支えている
本殿がと~っても気に入りました(笑)