洲本城(兵庫県洲本市)前編

 

家紋で知った築城主

現在、洲本城に残る石垣など

多くの遺構は、

戦国時代、豊臣秀吉の家臣で、

「賤ヶ岳の七本槍」の一人でもある

脇坂安治が城主となり、

大改修した時代のものです。

安治さんは関ケ原の戦いの最中、

東軍に寝返って、お咎めなし、

めでたく伊予大洲藩主となり、

その子安元の時代に

信濃飯田藩へ転封、

その後、脇坂家は、

龍野藩主となり明治維新を迎えています。

そんな脇坂家繁栄の元となった

安治さんが、

こんなに凄い城を造った事を知ったのは、

城内で見つけたこちらの幟でした。

輪違の家紋=脇坂家。

こう瞬間的に理解出来るのは、

家紋に詳しい妻のお陰です(笑)

馬屋(月見台)へ

伊弉諾神宮から車で走ること30分、

洲本城の駐車場に到着です。

この上にも駐車場はありますが、

僕たち(僕だけ?)は、

石垣を堪能したいので、

ここから徒歩で攻城です。

案内図。

地図、各所の写真と案内、

どれをとっても

洲本城愛が溢れた内容に感動ですよ!

大手門付近の案内板。

こちらも親切極まりない絵図で、

素晴らしいではありませんか!

少し歩くと洲浜紋の杭を発見。

ここに関わる武将で

洲浜紋というのは誰なのか、

この時は、

わからなかったのですが、

後で調べると武将ではなく、

「洲本市」の「紋」というか

ロゴマークだったのです。

この直後、

圧巻の石垣が目の前に出現。

馬屋(月見台)下の石垣。

しかし、これは洲本城の石垣の

ほんの一部に過ぎません。

大手門へ。

大手門からUターンするように

配置されているのが馬屋(月見台)です。

海に向かって眺望がひらけ、

洲本城展望所の一つとなています。

大手道

景色を楽しんだあとは、

回れ右して大手道へ。

大手門付近の石垣。

石垣だらけ(笑)

南の丸隅櫓跡。

攻めて側ならば、

ここまでで、討死は必至でしょう。

ホントに堅固な造りです。

江戸初期、

廃城となったにも関わらず、

これほど綺麗に石垣が残っているのは、

何故なのでしょうか。

廃城された多くの城の石垣は、

島原の乱の後には、

破壊されてしまっているというのに・・・

幕府の特別な配慮があったのかな?

ここを左へ。

案内板の「本丸(天守閣)へ」で、

さらにテンションは上がって来ます。

ここで冒頭に書いた

輪違い紋を発見し、

僕たちは、さらにヒートアップ(笑)

天守台

本丸に行く前に、

まずは、天守台石垣へ。

石垣との距離があるので、

写真も撮りやすいですね。

さらに右側から。

どアップ。

戦国時代の石垣らしく、

野面積みです。

角石は、少~しだけ

算木積みっぽいかな?

この時はまだ、

試行錯誤段階だったのでしょう・・。

本丸へ

ここまででも

十分洲本城を堪能出来ましたが、

ここからがメインです。

石段へ。

洲本城にはこんな案内が各所に建てられ、

訪問者は、安心して散策出来ます。

国史跡と言えども、

設備を整えるのは

なかなか大変なこと・・・。

有り難い限りです。

本丸大石段を横から撮影。

野面積みの素朴感に

うっとりしてしまいます。

桝形虎口へ。

石の大きさ確認のため妻登場。

完全な桝形虎口ですが、

戦国末期に

ここまで完璧なものを造るとは、

脇坂安治さんも頑張ったのでしょう。

城内から見た本丸虎口。

そして、振り返ると・・・

遂に、天守閣が見えた~!

さあ、行くぞ!(笑)

(続く)

 

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