須佐神社(福岡県築上町宇留津)
宇留津城
須佐神社の鎮座する場所は、
戦国時代まであった宇留津城跡で、
神社の前には立派な石碑が建っています。
「宇留津城之碑」
左側の小さな石碑には、
「天正十四年十一月七日
落城四百年ヲ記念シテ建之
昭和六十一年十一月 宇留津区」
このように書かれています。
案内を書き出すと、
「天正十四年(1586)、
豊臣秀吉は九州統一のため
薩摩の島津氏攻めを開始。
先遣隊の軍監黒田官兵衛孝高は、
毛利、吉川、小早川の中国勢とともに
小倉城の高橋氏を攻略、
さらに
軍勢二万八千人で二千人が立て籠もる
加来与次郎の宇留津城を攻めた。
黒田勢は母里太兵衛が
先陣を務めたが大きな濠に阻まれた。
しかし一匹の白い犬が
濠の浅瀬を渡っているのを見て、
そこから一気に攻めて落城。
そして妻子とも四百人余りを
浜で磔にしたと伝えられる。
須佐神社から宝積寺一帯が城跡で、
周辺の堀跡の塩田沼も
埋め立てられてしまった。」
このようになり、
さらに石碑の裏側には、
「塩田沼」の案内があります。
現在のこの場所の東西が、
宇留津城の堀で、
その堀跡が後世、
塩田沼となり、
昭和50年ごろから
埋め立てられたと書かれています。
神社を参拝する目的が、
お城まで体験出来るとは、
ちょっと贅沢ですね(笑)
社頭
宇留津城を知った後は、参拝へ。
一の鳥居。
狛犬。
吽形。
鳥居のすぐ右側の猿田彦大神。
御祭神に菅原さんはいませんが、
牛ちゃんはいます(笑)
手水舎。
太陽にきらめく清浄な水と
青竹の柄杓置き、
そして、柄杓を使ってのお手水。
全てが平常運転、
まさに手水鉢の文字と同じく、
「洗心」です!
御社殿
手水で癒やされた後は拝殿へ。
拝殿。
明治三十八年奉納の狛犬。
吽形。
御祭神の須佐之男命に参拝。
天井絵が素晴らしい!
軒下の新龍の彫刻も繊細です。
拝殿左側から本殿へ。
本殿に参拝。
本殿後ろから撮影。
海側からの参道
須佐神社本殿
向かって右側の林を抜けると、
海辺に出ることが出来ます。
堤防へ。
浜辺と堤防と海からの参道と。
のどかな海・・・
ぼーっとしていたい気分です・・・。
こちらは須佐神社の東側、
「海神社」の参道です。
堤防から撮影。
海神社と書かれた神額。
ただ、御社殿は、
無くなっているようです・・・
(見間違いならごめんなさい)
次に本家(笑)須佐神社の海参道へ。
堤防から撮影。
堤防が出来る以前は、
海から船で参拝する事も出来る、
砂浜から続く道だったのでしょう。
鳥居から参道を歩いてみます。
林の中へ。
木々のトンネルも
良い雰囲気です。
燈籠には、
「加来てつ」と奉納者の
お名前が刻まれています。
「加来」さんと言えば・・・
宇留津城落城時の城主、
「加来与次郎」さんと同じ名字ですね!
子孫の方が、
祖先に思いを馳せ、
燈籠を奉納されたのかも知れません。
(勝手な想像です)
海参道の終点、拝殿横の鳥居は、
安永三年(1774)の寄進。
柱にヒビが入っていたりしていますが、
それでもオリジナルを保っているのは、
やはり大切にされてきた証でしょう。
境内社など
次に拝殿の反対側に鎮座する境内社へ。
赤い鳥居の稲荷社が三社、
もう一つが宝篋印塔です。
向かって右端の稲荷大神。
宝篋印塔。
屋根を付けられ
大切にされています。
宝篋印塔をよく見ると、
可愛らしいお地蔵様が
刻まれているようです。
「刻像一石宝篋印塔(供養塔)」の案内。
抜粋してみると、
「この塔の側面、背面に
馬耳型突起がはっきりとあり、
塔身の平面が四角形で、
側面に刻みがある。
このことから宝篋印塔であることがわかる。
塔は正面から見た感じを
重要視したため、側面を薄くしている。
(中略)
塔の正面に、
地蔵を線刻で表しているのは珍しく、
地蔵の下部には蓮弁が三つ刻まれている。
(中略)
宝篋印塔に地蔵尊を表す例はなく、
地蔵の素朴さとあいまって、
地方の工人(労働者)のみが
作り得る面白さが特徴である。
(後略)」
このようになり、
ここに建つ宝篋印塔が
類を見ない貴重なものだとわかります。
建立年代などがわかれば、
文化財指定でも受けられそうですね!
真ん中の稲荷大明神。
左側の稲荷大明神。
最後に拝殿前にてツーショット。
これにて、何かと中身が濃かった
須佐神社の参拝は完了、
この後はレンタカー返却の場所、
小倉駅を目指します。