高泊開作浜五挺唐樋(山陽小野田市)
おもてなしの真骨頂
高泊開作浜五挺唐樋を簡単に言えば、
「水門」です。
江戸時代、毛利藩が手がけた
干拓事業の一環として造られています。
この水門の感動ポイントは、
「平成元年まで300年以上現役だった」
ここでしょう。
しかし、感動ポイントは、
それだけではありませんでした。
訪問した時に遭遇したのが、
こちらの案内です。
駐車場の案内として、
こんな秀作にお目にかかれたのは、
相当な幸運ですよ!
ここに着いて、
一番の悩みが駐車場だったのですから。
最初はちょっと迷って、
神社横の小さなスペースに
車を停めて(右端の白い車です)
歩き出したのですが・・・
なんか「モヤモヤ」しながら
唐樋を見ていたら
その傍にあったのが、
上記の駐車場案内なのです。
「知りたい時に、知りたい事が、
知りたいと思った場所にある」
まさに、おもてなしの真骨頂!
僕にとって、
高泊開作浜五挺唐樋の思い出は、
「駐車場案内図」になったかも?(笑)
高泊開作浜五挺唐樋の散策
一通り写真を撮った後に、
「正式な駐車場」に移動。
分かりやすい看板。
歩いて唐樋に向かう途中の風景。
「清々しい」しか言葉が見つかりません。
高泊開作浜五挺唐樋に到着。
「国指定史跡」
周防灘干拓遺跡高泊開作五挺唐樋」
以下、案内文の抜粋です。
「この唐樋は寛文八年(1668)に
萩藩の直営事業として行われた
高泊開作(四〇〇ヘクタール)の
排水用樋門で
岩盤を切り抜いて造られたことから
切貫唐樋とも言われています。
当初は、三枚の招き戸で開閉していた
三挺樋でしたが、
安政四年(1857)に
排水効率を高めるために
五挺樋に拡張され
平成元年まで使われていました。
排水口に設けられている招き戸は、
潮の干満で生じる
自然の水圧によって開閉する仕組みで、
非常時には招き戸をロクロで
巻き上げるように設計されています。」
江戸時代の技術は、
まさに持続可能なもの。
「今更、サステナブルなんて、
300年遅いよ!」
な〜んて、江戸時代の人に
言われそうです(汗)
分かり易い絵図を拡大。
現在の小野田駅などは、
干拓範囲に位置するようなので、
これを造らなければ、
小野田駅はなかったかも?(笑)
高泊開作五挺唐樋、
海側からの全景。
五挺唐樋のアップ。
上から撮影。
道路を挟んで、池側へ。
水門の内側。
さらに近づいて見学。
池側(干拓地側)。
ここまでで、
高泊開作五挺唐樋の散策は完了です。