2021/10/09

龍野歴史文化資料館(たつの市)

 

企画展

僕たちが、龍野歴史文化資料館を

訪問した期間に開催されていたのが、

「仏さまのお顔」という企画展です。

企画展の案内。

市内のお寺のものを

ここで展示されています。

仏さまのお顔と聞けば、

思わず「仏の顔も三度」

という諺が僕の脳裏に

浮かんでしまうのは、

何故なんでしょう?(笑)

石造物

資料館の前には、

いくつもの古い石造物が置かれていて、

石造物ファンには嬉しい演出です(笑)

まずは、脇坂家上屋敷跡で

見つかったもの3点。

庭石。

真ん中あたりに

脇坂家の家紋である

輪違が彫られています。

庭石に家紋を彫るのか・・・

ちょっと珍しいかもですね。

手水鉢。

上屋敷の稲荷に置かれていたもので、

天明六年(1786)

火事からの再建祝の奉納です。

こちらも手水鉢。

「安政四年(1857)の銘を持ち、

羽団扇紋が陽刻されているが、

奉納者はわからない」

このように書かれています。

羽団扇紋は

静岡浅間神社の紋でもあるので、

何らかの関係があるかも?

龍野城本丸御殿で見た牛といい

この手水鉢といい、

壊れたり、破片だったりしていても

大切に残し、展示されているのが、

素晴らしいことだと思います。

箱式石棺。

「四世紀前半のもの。

鳥坂(とっさか)2号墳の石棺で、

3基同時に作られ、

人骨がよく残されていた」

このように書かれています。

塔心礎(とうしんそ)

案内を要約すると

「7世紀後半のもので、

奥村廃寺から出土した。

塔の中心柱を受けていたのが心礎で、

柱がずれないように穴をあけている。

左が東塔、右が西塔のもので、

金堂を中心に東西にあったが、

同時期に建っていたかは不明である。」

このようになります。

塔心礎といえば、

昨年冬に訪問した、

京都府大山崎町、離宮八幡宮

巨大な塔心礎を手水鉢に

改造したものを思い出します。

資料館内

外をうろついた後、

ようやく館内へ(笑)

正面入口。

龍野の歴史年表。

白鳳時代に、

「奥村に寺が建立される」

と書かれていますが、

これは先程見た、

塔心礎が見つかったお寺ですね。

そして、1921年、

三木露風「赤とんぼ」発表。

今年はちょうど100周年、

良い時に龍野に来たものだ~(笑)

龍野藩庁のころからの角印各種。

寛政十年(1798)の

龍野惣絵図。

企画展のタペストリー。

企画展は撮影禁止なので、

記憶に残したのみですが、

その記憶はいったいどこへやら(汗)

こっからは常設展の写真です。

やはり神社が気になる(笑)

揖保郡七座というのが、

龍野の神社でしょうか・・・

今回は行けなかったけど、

出会いがあれば、

いつか行けるでしょう。

「都と博多を結ぶ筑紫大道は、

文永の役を機に大いに整備され、

軍用だけでなく、都の文化、

宋文化の流入伝来にも役立った。

(中略)

絵図には、

筑紫大道、八丁縄手大道、

大道などの文字が見える。」

このように書かれています。

京都から博多まで、

そんな整備された道があったとは、

知りませんでした!

もしかすると、本能寺の変直後、

秀吉の中国大返しでも

使われたかもですね。

「うちつづく戦乱」

恩賞を約束した書状などの展示。

楠木正成が湊川の合戦で

使用したとの言い伝えがある武具。

脇坂安治が淡路洲本時代、

正成の遺臣より献上されたものと

書かれています。

京極氏時代の龍野。

龍野城主一覧。

戦国末期~江戸初期は

福島正則、池田輝政など、

有名武将が名前を連ねています。

龍野城のジオラマ。

やはり、これは有り難し。

祭礼絵馬(神幸宮入図)。

弘化二年(1845)

梛八幡神社に奉納されたもの。

「人びとの楽しみ」

こう題された人形でしたが、

何をしているのか、

案内を確認するのを忘れた・・(汗)

これにて観覧は完了です。

 

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