金栗四三の生家(熊本県和水町)

 

繋がったご縁

金栗四三かなくりしそうさんのことは、

熊本県出身で、

大河ドラマになったマラソンの人

という位しか知りませんでした。

従って、田中城に向かう途中

「金栗四三の生家」という

道案内も完全スルー。

と・こ・ろ・が、

金栗さんは、僕たちを

放っては置かなかったのです!

こちらは田中城ミニミュージアム

職員さんからいただいた

田中城の御城印と、

金栗四三の生家の印です。

まさか、

こんな素敵なプレゼントをいただくとは

思ってもみなかったので、

これだけでテンションマックスに(笑)

しかもこの職員さん、

実に親切な方で、

「金栗四三さんの生家は、

普段あまり開けていないんですが、

たまたま、本日は

開けているんですよ。

もし良かったら

行ってみてくださいね!」

こんな案内までしてくれたのです。

お話を聞いた僕たちは、

「金栗さんに会いたい!」

と、それまでとは、360度、

いえ、

180度気持ちが変わっていました(笑)

金栗四三の生家へ

田中城和仁三兄弟の像を散策後、

同じ和水町内の金栗さんの家へ。

金栗さんちは、もうすぐ。

駐車場に到着。

真新しいトイレも完備されていますので、

大河ドラマに合わせて

拡張・整備されたのでしょう。

生家を周囲から撮影。

生家の裏側。

さすが、庄屋さんの家だけあって、

立派の一言に尽きますね!

こちらは新しい駐車場と、

生家を挟んで反対側の

従来の駐車場(多分)で、

その一角には、

金栗四三の書、

「体力 氣力 努力」と

その経歴などの案内が建っています。

案内は、金栗四三さんの

オリンピック出場百周年記念として、

2012年7月に建立されていて、

要約して書き出すと以下になります。

「若人の 走り競ふを見つつゆけば

ストックホルムのマラソン偲ゆ

金栗四三」

「金栗四三は、八人兄弟の

七番目としてこの地に生まれました。

幼少期から学校へは走って行き帰りし、

旧制玉名中学進学後も

実家に帰る時は走っていました。

東京高師(現筑波大学)在学中の

明治四十四年、

日本としてオリンピック初参加の

スウェーデン、ストックホルム

オリンピックに出場する。

記録的な暑さにより

途中意識不明となり

近くの民家で介抱されました。

その後2大会のオリンピックに出るも

満足の行く結果は残せませんでしたが、

その経験をもとに、

「耐暑練習」、「高地トレーニング」、

孤独な長距離の練習を

チームで行なおうという「駅伝」の発案など

あらゆる試みが四三の手によって

実践されました。

正月の風物詩となった「箱根駅伝」も

彼の発案によるものです。

四三は引退後も教師を続けながら

後輩の育成に励み、

国民から「日本マラソンの父」として

慕われます。

生涯に走った距離は約25万キロ、

地球6周と4分の1といわれています。」

これで、ようやく金栗四三さんの

全貌が見えてきました(笑)

金栗四三が生まれる

100年ほど前の御先祖様、

金栗瀬助翁の墓の案内。

この方は庄屋として

素晴らしい功績を残した事により

「金栗」という苗字を許されたと

書かれています。

エントランスの金栗四三さん。

金栗四三 生家記念館の案内。

「2021年5月6日、

和水町で東京オリンピックの

聖火リレーが行われ、

金栗四三の生家では、

町内の聖火リレーの終着地として

ミニセレブレーションが実施され、

665人の観客が参加した」

と書かれています。

コロナ禍真っ最中で、

各所で聖火リレーが中止になり

セレブレーションなども少なかった時、

しっかりと観客入れて行ったのは、

町民の皆様の思い出に残って、

本当に良かったことと思います。

顔出しパネル。

妻は田中城の和仁氏に(笑)

生家正面。

ここで気になる井戸を発見。

なんか古そうだな?

そう思って刻印を確認してみると・・・

文政十一年と刻まれています!

西暦1828年ですから

200年ほど前の井戸ですね。

さらに、

こんな案内まであります。

文化十一年が、

歴史上どんな年代なのかが、

詳しく案内されているのですよ!

この井戸が出来たころ、

苗字を持っていたのは、

十七戸に一戸だったという

レア情報も盛り込まれています。

こんな親切な井戸、

生まれて初めて見ました。

さらに側面には写真付きの

大きな案内を発見。

「金栗四三 冷水浴原点の井戸」

要約すると以下になります。

「風邪予防で始めた冷水浴、

金栗四三は、

旧制玉名中学の先生から

教わりました。

大河ドラマ「いだてん」では、

いろいろな場面で「ひぃやぁ~」という

雄叫びをあげながら

冷水浴をするシーンが登場しました。

この写真は、

金栗四三役の中村勘九郎さんが、

平成31年2月23日に

生家にお見えになり、

この井戸や冷水浴の説明を

町の担当者から

聞いていらしゃる時の様子です。」

このように書かれています。

家屋内部

ようやく井戸から生家内部へ(笑)

玄関前。

明治時代の中頃、

こんな家族写真が撮れたのは、

やはり裕福だったからでしょう。

玄関右側にある

四三専用の勉強部屋。

外から覗くと四三が勉強中(笑)

建物内部からも撮影。

「すっすっはっはっ」の文字に

思わず笑ってしまいます。

玄関口から中へ。

たくさんのパネルで、

四三の生涯を詳しく案内されています。

概略は、

先述した駐車場の碑文と同じなので、

気になった一枚のみアップします。

小学校時代片道6Kmの道のりを

走って通学していたことで、

その後のマラソンランナーとしての

基礎が出来たと書かれています。

いまだに破られていない

69連勝の記録を持つ横綱双葉山も

小さい頃から海運業の父の船に乗って

足腰が鍛えられたのと同じですね。

「体力 氣力 努力」

四三の座右の銘なんでしょう。

座敷で見つけたのが、

聖火リレーのトーチです。

テレビで見ていたけど

本物は初めて見ました。

上から見ると

桜の花びらなんだ!

案内には、

「2018年4月

大河ドラマ史上初

生家でのロケがありました」

このように記されています。

なるほど!

生家ロケって、

生家がそのまま残っていないと

不可能ですからね(笑)

ここまでで、

金栗四三さんとはお別れして、

時代は700年遡り、

室町時代初期、南朝方で活躍した

菊池武光さんに会いにいきます(笑)

 

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