柿本神社(兵庫県明石市)

 

競走馬並み

柿本神社の隣に、

神仏習合時代には

同じ敷地内にあった

月照寺というお寺がありますが、

時間に追われる僕の視野は、

競走馬並みに狭く、

従って、月照寺には行っていません。

ここに小笠原忠政(のち忠真)が、

明石城築城当時、

徳川秀忠から拝領した伏見城の薬医門が

明治時代に移築され、

今も建っているという事を知ったのは、

このブログを書いている時(汗)。

柿本人麻呂公が「また来いよ!」

そう言っている気がします(笑)

本殿へ

山の中腹に鎮座する神社ですが、

駐車場は、拝殿のすぐ近くなので

利便性は抜群です。

しかも

車を停めて、随神門から出ると、

いきなりこんな絶景が見られます。

明石海峡大橋!

右側には淡路島も見えています。

そして、回れ右して再び境内へ。

随神門と思いきや、神社のサイトには、

「山門」と書かれていますが、

ちゃんと随神様はいらっしゃいます。

阿形の随神様。

吽形。

山門を出ると右側に手水舎があります。

青竹で造られた

コロナ対策の水管、

見た目にも爽やかで気持ちいいですね。

なんとこの手水鉢、

「元禄十三年庚辰九月」と

刻まれています。

西暦1700年、

今から321年前の寄進です。

拝殿へ。

柿本神社のサイトには、

「当社は1620年江戸時代前期に建てられ、

戦災・天災の被害もあわず

今現在、約400年経っています。」

このように書かれていますので、

恐らく、明石城築城時、ここに遷座して

そのままの御社殿なのでしょう。

阿形の狛犬は、宝暦四年(1754)、

神仏習合時代を彷彿とさせる

「人丸大明神」と刻まれた燈籠は、

元禄八年(1695)の寄進。

手水鉢を含め古いものばかりで、

なかなか参拝に至りません(笑)

吽形の狛犬と燈籠。

参拝。

賽銭箱のデザインが、

なんとも渋くていいな~と思って、

いつの時代なのか横に回ってみると、

天保十一年(1840)寄進のものでした。

「正一位柿本大明神」の神額。

本殿。

御朱印も授与いただきました。

御神木

柿本神社には、

何本かの御神木があります。

「筆柿」。

「人麿公が、石見国(島根)より

都に行かれる途中

持ってきて植えられた」

このように書かれています。

「盲杖桜」。

「昔、一人の盲人が

この神社にきて、

「ほのぼのとまことあかしの神ならば

われにも見せよ人丸の塚」

と詠むと、たちまち目が見えるようになり

礼に桜の杖を置いていったところ

その杖から枝が出て桜の木になった」

こんな言い伝えの桜です。

舟の形をしたこの木は、

「八房梅」(やつふさのうめ)。

「元禄の世に赤穂浪士

間瀬久太夫が主君の仇討ちを祈って

植えたと伝えられ、

一つの花に八つの実を結びます。」

このように書かれています。

播州明石浦柿本大夫祠堂碑

柿本神社において、

御社殿以外で一番古いのが、

参道脇で控えめに建っている

播州明石浦柿本大夫祠堂碑です。

亀形の石碑。

案内によれば、

「寛文四年(1664)十月、

明石藩主松平信之は、

和歌の隆盛を願って、

豪壮な人麻呂顕彰碑を建てた。

台の亀および碑文上部の双龍の彫刻は、

中国風で品格もある。

銘の撰文は、幕府の儒官であった

大学頭林春斎によってつくられ、

人麻呂の伝記が記されている。」

このように書かれています。

Wikipediaによれば、

林春斎は、家康の代から

徳川に仕えた林羅山の三男で

羅山の跡継ぎ。

松平信之さんは幕府に気を遣って、

撰文を依頼したのかも知れませんね。

亀のお顔アップ。

お顔の前に建つ石碑。

「金剛・・・」

なんでしょうか?

境内社

次に境内社へ。

天神社と三寶荒神社。

五社稲荷。

参拝。

後ろに冒頭書いた

月照寺の鐘が見えてます。

ツーショットで参拝は完了です。

今日のランチ

超久しぶりのマック

(関西ではマクドかな?)。

神社参拝前の腹ごしらえ、

最高のお昼でした~(笑)

 

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