2020/02/24

京都霊山護國神社へ

 

青空のイメージ

今回の京都旅行の天候は、

まさに神がかっていました(笑)

移動中や屋内での観光時間は

雨や雪が降りしきり、

ここぞという場所では、

一面が晴れたり、

そうでなくても

その周囲だけには青空が広がったりと

僕たちが願うがままのお天気に、

ただただ、感動しきりでした。

曇っていても雨でも雪でも

心に描くイメージが青空だと

いつの間にその方向に

天気も変わるのでしょう。

思考が、現実化するとは言いますが、

やはりお天気も同じですね(笑)

大山崎駅~河原町駅

入る前は雪、

出た時は青空だった、

大山崎歴史資料館

目と鼻の先にあるのが、

阪急大山崎駅です。

JRの駅名は「山崎」で、

阪急は「大山崎」。

阪急の方が偉い?(笑)

太陽を浴びながら

準急の河原町行きが入線。

途中駅で、特急に乗り換えれば、

少し早く着きますが、

座ったまま動くのがおっくうな僕たちは、

ずっとこの電車で、終点まで行きます。

途中で見つけた駅「にしむこう」

そして、

このお隣は「ひがしむこう」。

なんとも笑顔にさせてくれる地名です。

そんな駅名を見ながら楽しんでいたら

いつの間にか終点の河原町駅に到着。

地上に出ると、

空は一面雲に覆われて、

かなりの暗さ・・・(汗)

その後、

四条河原町から

乗り換えのバスに乗車した時には

雪が振り出し、

その勢いは視界を遮るほど強くなり、

冬の京都の真骨頂を味わう事に(笑)

そんな雪が降りしきる中、

目的の東山安井バス停に到着。

そしてバスを降りたその時、

何故か雪は止み、

いきなり青空が僕たちの頭上に現れたのです!

京都霊山護國神社へ

バスを降りて少し行くと、

神社の一の鳥居に遭遇。

あの雪はいったい何処へ(笑)

「坂の上」って書いてあるのが、

単純明快でいいですね。

このあたりには、

八坂の塔、高台寺、圓徳院、

知恩院、八坂神社、清水寺など

名所しかありません。

今回は全部行きませんが、

この中の高台寺の一端だけには、

触れることが出来ました。

それが神社参道左側にある山門です。

高台寺山門の表側。

反対側から撮影。

この門だけは高台寺境内とは

かなり離れている場所にあり

昔は今の寺域よりも

広かったのかも知れません。

「坂の上」と書いてあった

案内の通り、坂は続いています。

幕末維新史跡エリアマップ。

清水寺のお隣さんだ~(笑)

看板に書かれている

坂本龍馬遭難の日、

要するに京都、近江屋で暗殺された

11月15日には、

「龍馬祭」が催されています。

因みに命日の11月15日は、

龍馬の誕生日でもあり、

命日=誕生日という

珍しい一生を送った方なのです。

神社のご由緒。

このあたりは

坂本龍馬だらけ(笑)

やはり「龍馬推し」は

ここでも観光目玉にもなっていますね。

靖国神社同様、

パール博士(判事)の

顕彰碑もあります。

二の鳥居。

大きな狛犬と妻の大きさ比較写真。

吽形。

鳥居を過ぎて振り返ると、

八坂の塔も見えて、

京都風情を満喫出来ます。

翠紅館跡。

今は懐石料理のお店です。

幕末の志士達が集まった場所です。

案内を端折り、アレンジして書くと

「文久三年正月、

土佐藩の武市半平太、

長州藩の井上聞多

(後の内務大臣など務めた井上馨)、

久坂玄瑞ら多数が集まり

6月17日にも、長州藩の桂小五郎

(後の木戸孝允)、

真木和泉(久留米水天宮宮司)らが

集まったと書かれています。

この後、政変が起こり

彼ら攘夷派は失脚、

代わって公武合体派が主導権を握り

幕末の政局は混迷の度を増していった」

このようになります。

なるほど、ここも幕末維新と

大いに関わっていた場所なんですね!

石碑による案内。

坂は続くよどこまでも(笑)

「維新の道」の石碑。

この参道の名前のようです。

ようやく神社の社頭に到着。

なんだか、

案内板のオンパレードですね(笑)

 

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