東郷平八郎の墓所・銅像(鹿児島市)

 

好事例

東郷平八郎の墓所がある多賀山公園は、

江戸時代初期まで「東福寺城」という

お城があった場所で、

鹿児島城(鶴丸城)築城までは、

島津氏の「後詰めの城」として、

存在していたようですが、

これら全ては、

ブログを書いていて知ったことで、

アウトプットすれば、

思わぬインプットがあるという

好事例でしょう(笑)

「肝付兼重奮戦之跡」碑

志布志市での散策場所を数箇所パスし、

桜島フェリーへの乗り継ぎも良く、

当初予定よりも40分ほど早い、

午後5時過ぎ、鹿児島港に到着し、

心に余裕が出来たところで(笑)

この旅最後の目的地、多賀山公園へ。

駐車場。

かなり年季が入った案内図ですが、

あると無いとでは大違い、

このお陰で、

散策コースを決める事ができ、

大いに重宝しております(笑)

東郷さんのお墓を目指して出発。

途中見つけたのが、

「肝付兼重きもつきかねしげ奮戦之跡」と記された石碑です。

案内を抜粋すると

「肝付氏は、平安時代末期以降、

大隅半島を地盤とした豪族でした。

肝付兼重は、南北朝の動乱が起こると

肝付一族を率いて

南朝側に立って戦いました。

碑文には、

宮崎県の三俣院高城を陥された後、

東福寺城に入ると

島津軍と8ヶ月にもわたって

奮戦したことなどが記されています。

兼重の墓は肝付町の

旧盛光寺墓所にあります。

戦国時代、島津氏の脅威となりますが、

その後、天正8年(1580年)には

島津氏の家臣となります。」

このようになります。

幕末、明治維新に向けて

活躍した薩摩藩士の小松帯刀は、

この肝付氏の庶流で、

小松家の養子となった人です。

日本の行く末を左右する

大仕事を成し遂げた東郷元帥と小松帯刀、

はからずも多賀山公園で

ほんの微かながらも結びついています。

東郷平八郎の墓所

ここには東郷さんの

墓所と銅像がありますが、

やはり先に行くのはお墓です。

銅像の手前にお墓はあります。

お墓に到着。

案内を抜粋します。

「東郷墓地と多賀山公園

「皇国の興廃 この一戦にあり、

各員一層奮励 努力せよ」

「1905年(明治38)

旗艦三笠にZ旗がひるがえり、

日本海海戦の火ぶたが

切っておとされました。

東郷平八郎は連合艦隊司令長官として

この海戦を指揮。

丁字戦法によって

無敵のロシアバルチック艦隊を

全滅させたのです。

1847年(弘化4)加治屋町に生まれ、

15歳で薩英戦争に参加。

イギリスの力を目のあたりにして、

強い海軍を人生の目標とした少年は、

イギリス留学を振りだしに

海軍の増強につくし、

世界の名将といわれるまでになりました。

墓所として多賀山が選ばれたのはこの地が

鹿児島港に入る艦船から

真正面に見える位置にあることと、

東郷を海軍に進ませた薩英戦争の遺跡

砲台跡を真下に見る場所であったからです。

晩年、

東宮学問所総裁をつとめた東郷元帥は、

1934年(昭和9)88歳で亡くなり、

国葬によって

多摩墓地(東京)に埋葬されました。

多賀山には元帥の遺髪が葬られ、

銅像が建てられています。

多賀山は、

島津氏が鹿児島郡司矢上氏の一族、

長谷場氏を攻め落とし居城とした

東福寺城跡の南にあたる山で、

山上からは鹿児島市中心部の

ほぼ全域が望めます。

島津家16代義久が、寿命の神と祀らせた

多賀神社(本社 滋賀県)から

この名がつきました。」

正面。

参拝。

裏側から見ると、

鹿児島湾が見え、

その先には桜島も望めます。

東郷元帥目線の桜島と鹿児島湾(錦江湾)。

先の案内にもありましたが、

ここは薩英戦争の跡でもあります。

妻の海軍式敬礼で参拝は完了です。

東郷平八郎の銅像

お墓の参拝後は銅像へ。

「聖将之碑」。

銅像の建立理由など。

後半の一説に

「元帥の場合、一将功成りて萬卒栄ゆ。

蓋けだし世の追従を許さないものである。」

このようにあります。

もちろんこれは、

「一将功成りて萬卒枯る」の

反対を意味していますが、

これは「日本国の存続」という

大局から見た場合の、

「萬卒栄ゆ」だと考えます。

やはり戦場の名も無き兵士達は、

枯れる(亡くなり、あるいは傷つく)

には変わりないでしょうから・・・

お墓から一段高い場所に、

銅像は建っていて、

このめっちゃ細い階段を使います。

過去最高に狭い階段ですが、

作者の意図は何だったのでしょう?

お〜銅像が見えてきた〜!

正面から。

銅像近くにある銅像建立の経緯。

「この銅像は横田晴雄氏が

岡山市の県郷土館に陳列されたものを

日本海海戦五十周年にあたり

有志とはかってここに

移設したものである。」

これにはビックリですよ、

なんと岡山県にあったのですから。

気になって調べると、

さらなる驚きの発見が!

それはこの銅像の作者は、

福井県出身の雨田光平あめだこうへいという方で、

柴田神社・北庄城跡に建つ、

柴田勝家の銅像の作者でもあったのです!

こちらは2年半ほど前に

訪問した時に撮った柴田さんです。

まさか、

勝家さんと東郷さんが繋がるとは、

正直驚きました(笑)

全身アップ。

お顔アップ。

背中から。

桜島とはほぼ並行、

南向きに建てられています。

ここでツーショット完了。

東郷さんの銅像、

奥が深かった〜(笑)

癒しネコ

銅像から駐車場へ。

3匹のネコ発見!

僕たちの足音や話し声が聞こえても

意に介さず眠り続けています(笑)

この光景、まったく癒されますな〜!

鹿児島中央駅にて

レンタカーを返却後、

鹿児島中央駅構内で見つけたのが、

こちらのポスターです。

お〜青森の仏ヶ浦だ〜!

僕も妻も大興奮(笑)

ここはめっちゃ辺鄙な所ですが、

それだけに自然が残る素晴らしい景色で、

僕のスマホの待ち受け画面は、

この仏ヶ浦なのですよ(笑)

仏ヶ浦の海藻と断崖のコラボ(笑)

こちらはこの旅から初参加の、

僕の誕生日に

息子のお嫁さんから貰った

保温性抜群のポットです。

このお陰で、

常に冷た〜いお茶で水分補給出来、

めっちゃ重宝しました。

つばめ336号で博多行へ。

まだ誰もいない車内で、

はしゃぐ妻(笑)

あと2時間で福岡です。

(令和8年7月鹿児島の旅・完)

 

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